闇の中でもわかる。
赤黒い鬼が、
四ノ宮絹子の屍骸から、臓物を引きずり出している。
その様子を、三匹の異形の者たちが、目を光らせ見つめている。
熟しきった果実を踏み潰すような音が静謐な夜の森の中に、規則的にこだまする。
鬼は、動物の生皮を剥いだ跡のような赤黒い肌をしていて、大きく裂けた口の両端から、ねばねばした涎が垂れて足元に水溜まりを作っている。
「そのへんにしておけ、アヌマ」
異形の者のひとつが、鬼の名前を呼び諌めた。
地響きかと聞きまごうほどに轟く、重たい声だった。
全身が縮れた栗毛で覆われ、垣間見える地肌は、やはり内臓のように赤黒い。盛り上がった両の眼球が、焦点の合わぬままにぐるぐると回転している。
「しかし『もうりょう』、この女だけは、ぐちゃぐちゃにしてやらねえと気がすまねえ!」
アヌマは絹子の首を捩り切ると、側に生えた大木に叩き付けた。水っぽい音と共に首は爆ぜ飛んで、中実が四散した。
「まあ、気持ちはわかるがの。この女が、下手くそな『推理』とかいう戯れ言をぬかしたせいで、アヌマともうりょうは小狡い犯罪者にされてしもうた」
そう言ったのは、老人の上半身だけの怪物だった。腰の付け根から下部は、小さな針が百足の足のようにうぞうぞと蠢いている。人間なら両腕が生えている部分からは、時計の針によく似たものが伸びている。顔だけは人間と変わらぬ形をしていて、それは「時坂」と呼ばれていた老人の顔であった。
「そもそも、『棺の入れ代わりトリック』というのか?
アヌマがあれをやる必然性がどこにある?棺に隠れるよりも、家にいる間に純一を殺したほうが、効率がよかろう」
「紀明の死体と入れ代わる目的も、不透明だったしな。そもそも、『アヌマと俺が料理を作っていないと会食に間に合わなかった』事実は、どう説明する気だったんだ?まったくあれは、なんとかトリックを使った事件にしようと、こじつけていたんだ」
もうりょうが、しみじみと唸る。
「蓋はたまたま俺が閉め違えた。死体も松の棺に移し替え忘れてたから、プラマイゼロだったが。タバコの臭いは、アヌマの奴が安置されていた紀明の臓物をつまみ食いした時についた……、おい、多少は貴様にも非があるぞ」
「そんな……」
「そもそもアヌマ、貴様が紀明を裂き殺した日に『経典』を見つけておれば、純一殺しなどせなんだものを……」
「そりゃ無理だ。いくら引っ掻き回してもわかりっこねえよ、隠し倉庫の事なんか。俺は純一の話で初めて知った」
アヌマの言葉を受けてもうりょうは、
「致命的だったのは、あいつが見張っていたために俺が紀明の死体を始末出来なかった事。そして、四ノ宮絹子がアヌマの足跡を、おかしな方向に解釈した事か。あれで反って動きにくくなった」
「……これか。『後に傾いた重心』の足……ざけやがって」
アヌマが足をあげた。かかとが、瘤のように膨らんでいた。「悪鬼」の一族特有の、足型である。
「ふひひひ、アヌマが日の出ぎりぎりまで捜すのをやめなかった――引き際が悪かったせいで、もうりょうが死体を掃除できず、また足跡を残したせいで付け入られた……。やはりアヌマが悪いわい」
最後の異形が、からからと笑った。しょぼくれた隠居老人のような風体だが、後頭部が大きく膨らみ、血管が脈動していた。
「ぬらりひょん殿、そりゃありませんよ! あの夕食の場で、四ノ宮絹子の内部犯説を後押ししたのは、ぬらりひょん殿ですぜ! まったく敵わないな、飯になるといきなり、ひょっこり出て来るんだから」
「ぬらりひょん」。
食事どきになると煙のように現れる妖怪だ。存在を全く気取られることなく、飯だけを食って去る。人々が、ぬらりひょんがいたのに気付く事は稀だ。
(―――馬越家での夕食の時。
時坂とは別の「老人」の発言があるが、彼のものである。阿沼の動揺も、ぬらりひょんの登場に気付いたからだ)。
「……だって、面白そうじゃったからな。まさかあすこまで、突っ走るとは……」
四体の怪異が、思い思いに感想を語る光景は、ただただ不気味である。
もうりょうが地鳴りのような笑いを漏らした。
「ともかく、『妙法反琿蟲誅』は手に入れた。多少の不愉快は心にしまいましょう、ぬらりひょん殿。人間世での『おつとめ』は、寄り代どもにつとめさせてありますし。なあ、アヌマ」「そんなものか」とアヌマ。
ついでぬらりひょんが、
「そうじゃな。次からは、密に連絡を取り合うべい。純一が葬式に来ない事をもうりょうが知らなんだばかりに、ややこしいことになってしもうたんじゃから」
「ぬぬ……ですが、その事で逆に、隠し倉庫を発見できたわけですから……」
もうりょうが慌てて弁明するのをアヌマが制して、
「――いいや、ぬらりひょん殿。俺達が群れるのは不可能だ。あの最後の『推理』の時だって、悪鬼に変化しようとした俺を、時逆が時間を止めて抑えてくれなければ、あの場で俺はあの女を喰らい殺し、計画は水泡に帰していただろう……」
言いながらアヌマは、「絹子だったもの」を丸め、折りたたみ、肉塊に造り変えている。
その時だった。
やにわに、ひゅう、と風を斬る音がした。
「ここにいたのね、お前達!」
異形達は、おのおの身を跳ねて木上へ移る。ただ一瞬の遅れを喫したアヌマの右腕が、切断されて宙へ投げ出された。
「なぁぁぁにものだぁぁ!」
腕とともに我を失ったアヌマが、咆えた。木々が律動し、名もわからぬ鳥たちが喚きながら飛び去った。
「……まさか総大将殿までおでましだったとはね。気付けなかった……」
闇の中に、みずみずしい少女の声が響いた。
「……貴様か。我々の足取りを嗅ぎ付けたのはご立派だが、いかんせん遅すぎだな。まだまだ未熟者だ」
もうりょうが闇の中を睨みつける。張り詰めた空気が浸透してゆく。
「……魍魎。馬越家では藤岡貞之と名乗ってた奴ね」
「うむ。ご名答。ついでに、貴様らが喉から手が出る程見つけたがっていた『犯人』も俺だよ。『トリック』とやらも知りたいか?」
「―――軽口はいらない!経典を持っているの?」
「生憎、口が軽いのが性分でね……。お友達の古物商に話してやれよ。
犯人は妖怪で、トリックは『魍魎が死体に乗り移り、人知及ばぬ速さで行って戻ってきた』だとな」
「……だまんなさいよ!下手踏んだくせに強いふりしないで、ヘボ妖怪!」
「言うね」
「下手を踏んだ……。果たしてそうかの……」
時逆は、ふ、と目を伏せた。
馬越一族に伝わる経典『妙法反琿蟲誅』
(みょうほうはんごんちゅうぢゅう)。
それを奪うのが彼らの目的だった。
深夜、馬越家に事前に入り込んでいたアヌマは、紀明を殺害してから悠々と経典を持ち去るつもりだった。
しかし、誤算。
紀明から以前聞いた筈の隠し場所に、経典がないのである。偶然か紀明の最期の抵抗かは、今となっては知れないが、経典は別の場所に隠されていた。
慌てたアヌマは、夜明け直前まで探しに探す。森にて待機していた魍魎の元に帰還したのは、午前7時のことだった。
紀明の遺体に乗り移り、捜査を引き継ごうとした魍魎だったが、馬越家に入ってゆく人影と、妖怪を見張る影を見つけ、これを断念する。
そうこうしているうちに、四ノ宮絹子に引っ掻き回されて身動きできなくなった時坂と阿沼。
だが彼らは、唯一阿沼がした空気を読まぬ質問で、隠し倉庫の存在を知った。
葬儀社の人間「藤岡貞之」に乗り移った魍魎がそれを確かめるべく、再び夜半に馬越家に侵入した。
「見張る影」がいたため、「本当の姿」では活動出来なかったが、外部の人間に化けた事が功を奏し、内部犯行説に凝り固まって部屋に篭っていた純一に、上手く接触できた。
巧みな甘言で(葬儀費用をタダにする、といった内容をわかりにくく説明したところ、純一がわけもわからず賛同しただけだが)隠し倉庫の場所を知ると、一度引き上げた。
もし結界が倉庫に張られていた場合、「結界破り」をすると、妖力を「見張る影」に気取られる危険があった。
その夜は、未だ起きている「見張る影」を見つけたためもあり、大事をとって、結界破りは決行しなかった。
翌朝。
葬儀の参列者が出ていった後。藤岡貞之は、本当の姿「魍魎」に変化した。 魍魎とは、死体を食らって糧を得、時にはそれに乗り移る妖怪であった。
さて、「見張る影」のいない馬越家内で結界破りを行った魍魎。
だが、その倉庫に張られていた結界は、特殊なものだった。
「馬越一族の血」
それが、結界破りに必要だった。
魍魎は凄まじい速さで地を這い、万永寺へと向かった。
「純一は家にいる」と時坂から聞かされ藤岡は呆れた。何故、その事を早く言わない。ここまで来る意味などなかったではないか。
藤岡は再び、馬越家に戻らねばならなくなった。だがそこで運悪く、四ノ宮絹子に出会ってしまう。
「阿沼さんが困っているから料理を手伝え」
つくづく呪わしい、あの女。
まあ確かに、葬儀担当者がいつまでも葬儀場にいないのも、不自然だ。
そこで、魍魎は藤岡の肉体を、妖術で「寄り代(生き人形)」としたうえで、手近な死体である馬越紀明に、こっそり乗り移った。瞬間的に時坂に時を止めてもらったため、「見張る者」にも気配を悟られる事はなかった。 さて、魍魎の姿のままでは「見張る者」にばれてしまう。
魍魎は、紀明の体のまま、地下道を即興で掘り進み馬越家に向かった。
土を掘り死体を暴く普段の生活スタイルが幸いして、手早く馬越家に着いた。
このころには魍魎も苛々していた。純一を早々に殺害すると、その血液で隠し倉庫を開く。ついでに臓物を食らったが、まあ役得というものだ。
経典を手に、意気揚々と引き上げる時に、家政婦に目撃されていたのは誤算だったが……。
ともかくその後、紀明の死体を骨の髄まで喰らい(断っておくが、骨はまずいから普通は食いたくない)、葬儀終了後にそそくさと藤岡に戻ったのである。
よもやその後で、あんな珍妙な『推理』に巻き込まれるとは思ってもみなかった。
純一の死体を処理しなかった自分の不始末とはいえ、魍魎にとっては、かなりどうしようもない濡れ衣だったわけだ。
時の旅から戻った時逆は、思った。
よくもここまで綺麗にドジを踏んだものだ、と。種の違う妖怪が集団行動を取るのは、無理なことなのかもしれない。
さて、再び時は世界に返された。
格子状に重なる枝葉のざわめきが、土から立ちのぼる湿り気が、そして異形の者たちが、一斉に動きを取り戻す。
「覚えてる?ぬらりひょん。妖怪王の宮殿から、あなたが最初の経典を奪って逃げ去った、あの日のこと」
暗闇から姿をあらわしたのは、
「……ああ、覚えておるよ。あの日が始まりじゃったからな。
わしにとっても、あんたにとっても」
黒瑪瑙のごとき暗黒をたたえた瞳を涙に震わせた、
「……そうだね。あたしにとっては、地獄が始まった日だ」
鳥の首のごとき細い両足に懸命に力を込め、
「わしはあんたを救ってやったつもりだったがね?
鼻摘まみ者の姫君。落ちこぼれの落伍者……」
鋼のごとき重責を一身に背負ってもがく、
「―――それでも、あたしは、父さんと母さんの事が好きだった!」
妖怪王の姫君。
人間界では名前を「姫村真洋」と名乗った。
彼女の眼前に、今や狂鬼と化したアヌマが立ちはだかった。豪腕を一直線に、真洋へとふるう。その腕をしっかりと捉えると、真洋はそのままアヌマをひねり倒した。倒れるアヌマの力を利用して、ふわりと虚空に舞い飛ぶ。
態勢を立て直そうとするアヌマに、真洋は一迅の風を撃ちつけた。
烈風の刃が、鬼の首に突き刺さる。びくり、と体を痙攣させたアヌマは、そのまま果てた。
「…………ほう。強いんだな」
にやにやと成り行きを眺めていた魍魎だったが、雲行きの怪しさを感じたか、そう捨て台詞を吐くと、闇に紛れて消えた。
時逆も同様であった。
「―――ぬらりひょん!」
「待たれい、姫君。とりあえず、今わしを殺す事は、諦めるが吉じゃよ。もう逃げちゃうからの」
「どこまでも追っかけてって、殺すよ」
「……経典を全て揃えるまでは、わしもストーカーに悩まされるやけか。警察にでも駆け込もうかね。ふひひ。……ま、楽しくやろうや……」
「待って。それから、あなたの仲間の妖怪達に伝えて」
「なんと?」
「もう人間は、殺させない」
「……そいつはあるいは、わしを殺す事より難儀かもしれんぞ。人の臭いは生臭い。臭い場所には住みたかない。そこに住むにはどうするか。臭いの元を断つしかなかろ……」
ふ、と、闇にぎらぎらと光る、ぬらりひょんの目が、掻き消えた。
姫村真洋は、その場に膝をついた。
自らの未熟。
人間界では敵の妖怪達に気付けもせず、闘いも中途半端に逃げられた。
言葉の上辺で強がってみたが、敵の総大将を目の前に、体はがくがくと震えていた。どうにもできなかった自分も情けなくて、震えと涙が止まらなかった。
でも、それでも。
彼女は立ち向かわなければならない。
もう誰も殺させない。
もう奴らを逃さない。
もう私は弱いままの私ではいない。
強くなろう。
もっと強く。
だが、だが今は。
どす黒い血だまり。
散乱する臓物。
今はもう見る影もない、艶やかだった黒い髪。
真洋は一言、ごめんなさいと呟いて、泣き伏せた。
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