馬越家は広い。
初めて訪れた人物は、一階の玄関から一直線に伸びる廊下に、まず度肝を抜かれるだろう。ゆうに100メートル以上はある。お寺の小坊主が雑巾がけするには丁度いいかも、と絹子は思った。
廊下の両側に襖がそれぞれ5組ずつ。主に使用されているのは、玄関から見て1番手前の右側にある、応接室。ほかに倉庫が3部屋、調理場、居間があって、最も奥の右手側が紀明の寝室。廊下は突き当たりでT字に分かれ、やはり右手側に階段がある。
2階は主に団体の訪問者を持て成す時に使用され、一階と同じような配置で客間が並んでいる。
絹子は腕組みし、考え込んでいた。
状況は強盗殺人だったが、だが、何かおかしい。殺され方が陰惨だったのが不可解。犯人が倉庫の美術品には何一つ手を触れていないのも不可解(馬越氏の収蒐癖は近所でも有名だった)。何かある。
「――――どなたですか」
ふと声がした。絹子はハッとして振り返る。小柄な老翁が、背後で微笑んでいた。全く気配に気付けなかった。
「警察の方ですかな」
老人は首を傾いで、言葉を継いだ。絹子はつとめてにこやかに、
「私は四ノ宮絹子と言います。この事件を調べてます」
「ああ、新聞に何度か載っとりましたな。殺人事件を解決したとかで、感謝状をもらってらした」
「あら、ご存知でしたか。ありがとうございます」
功績が、功名が、着実に広まっている。悪い気はしない。絹子はゆったりと微笑んだ。
「わしは時坂と申しまして、紀明君の友達みたいなもんで……、昨日たまたま飲みに来て、そのまま上に泊まっていたんですがね、朝起きたら晃一君の叫び声、いやあたまげましたわい。警察にも屋敷を出るななんて言われましてな、でも家の犬が心配でね、あいつは私が餌をやらないと、めしを食わないんだ……」
長い。
長すぎてうんざりだ。
絹子は年寄りの長話が嫌いだった。しかしたまに、事件を解く重要な手掛かりをしゃべっていたりする。それを逃さぬため、絹子は一語一句聞き漏らすまいと日頃から心掛けていた。
「時坂さん、夜中に物音を聞いたりしなかった?」
ゆっくりと話しかける。
「んにゃ、何も。どっちみち、ぐっすり寝とったからの」
時坂はあっけらかんとして、両目をしばたいた。
ひょっとすると、この時坂が馬越紀明を殺害したのでは。可能性はある―――と思ったところで、絹子はある事実にようやく気付いた。
「晃一君に飯を作ってもらうかな。腹が減った……お嬢さん、すまんが手を貸してくださらんか」
時坂老人には、両腕がなかった。
「死体を発見したのは何時ごろですか?」
応接室。大きなデスクを挟んで、絹子と本間晃一が向かいあっている。ゆったりとソファに体を預けた本間は、
「朝の7時ごろですね。警察の方にもお話しましたが」
と、ベタな応答をして、はにかむように笑った。年の頃は20そこそこか、落ち着いた物腰の好青年だ。鼈甲の眼鏡を押し上げて、
「ああ、何故そんな早い時間に、とおっしゃるでしょうから先に弁明しますけど、馬越さんはヘンクツモノでして。良い品があれば、時間を問わずにとにかく来い、と。いつもは家政婦の石黒さんに応対してもらうんですが、今日はいくらなんでも朝早いんで、勝手に上がりこみました」
おそらくこれも、警察に話したのだろう。流暢な説明だった。
部屋のすみでお茶をいれている女性が、家政婦の石黒だろう。
―――しかし、気にかかる事があった。証言する本間の表情だ。やけに晴れやかというか、第一発見者であるハズなのに、引きずっている様子がない。それを尋ねると、
「――なんで僕が、馬越さんが死んだのを引きずらなきゃあならないんですか?」
と、さも不思議そうに、まじまじと見つめ返された。
不思議なのはそっちのほうだ、と、絹子は心の奥底で毒づく。人が死んでるんだぞ、と。
「実際、あの人が死んで悲しむ人なんていないですよ。あの人我が儘だし、女好きだし、すぐ怒るし。いなくなってむしろ、せいせいしましたかね。
―――あ、でもね」
「でも、何です?」
「二世がいるんです。同じような性格のね」
なんでお前が、本間さんの尋問をしとるんだ」
応接室に入るなり、福留が怒鳴った。熟れたトマトのような顔色だ。
「事件を解決するためよ」
流石に、ここで引き下がるわけにはいかない。絹子はキッと表情を引き締め、鋭い言葉の矢を放った。本間が「面白そうだ」という顔をして、二人の闘いを見つめる。
「警備担当の巡査は!」
「四ノ宮さんならどうぞ、と言ってくれましたわ。顔パスね」
「ぬう……だが、四ノ宮絹子、この事件おまえの出る幕はないぞ」
福留はにやりと笑いを浮かべた。なにか腹蔵ありそうな、どうも、負け惜しみではないらしい笑い。
「どういう事よ」
ソファから絹子は立ち上がり、つかつかと福留に迫った。福留は大仰な手ぶりで武内を呼び付けた。
「はいはい」
猫背の武内。続いて、三人の新顔が入ってきた。
「刑事さんあたし関係ないって」
最初は、ショートカットの少女。
全体的にか細く、とくにハーフパンツから伸びた両足など、鳥の首のようだ。だが弱々しい印象はうけない。小麦色に焼けた肌と、黒瑪瑙のように力強く輝く瞳が、彼女に活発なスポーツ少女、といった雰囲気を与えていた。
「全く、困りましたよ……」
二人目は、中年の男。手入れされていない無精髭。体臭も煙草臭い。いい印象はうけない。
「どーだっていいよなあ、全く」
最後は若い男。といっても、30がらみか。短く刈り込んだ金髪にサングラス。レザージャケットに、過剰に装飾されたジーンズ。―――殺人現場に髑髏をぶら下げてくる神経が、わからなかった。間違いなく、普通の男ではない。
「まず姫村真洋さん。本間晃一さんと一緒に、今朝ここを尋ねてこられた。古物商見習いでしたか?」
武内がたどたどしく説明した。真洋は「姫村です。本間さんの友人です」と、礼儀正しくお辞儀をした。何となく初めて常識人に接した気がして、絹子は安堵した。
「次が阿沼浩平さん。この屋敷の専属コック」
「阿沼です」
と、阿沼は目礼する。あんなに小汚い男がコックとは。仕事が務まるのだろうか。
「最後に、馬越純一さん。馬越紀明氏のごむすこさんで、えー……ミュージシャン兼実業家兼パチプロ兼芸術家」
なんだそれは。
「……武内、それは『ご子息』と読むんだ。ごむすこじゃない」
「――ああ」
と手帳に目を落としまた何か言いかけた武内を遮り、純一が、
「でよ、オヤジは死んだんだな?強盗に殺されて」
「――強盗ですって?」
絹子が素っ頓狂な声をあげた。信じられなかったのだ。
あれほど残酷な殺され方をして、強盗ですませると? そもそも、結論を出すのが早過ぎる。
純一の発言には本間も驚いたらしく、
「ほんとなんですか純一さん」
と早口に尋ねた。それに答えたのは福留で、
「ウチのほうでは、強盗殺人で処理する方針に決まりました」
応接室じゅうを見回して、得々と告げた。
一方で絹子は激怒した。感情をあらわに叫ぶ。
「――――冗談じゃないわ!死体の状況、アレちゃんと見たの!?」
「多くの物証が、物盗りを示してんだよ。部屋からは金品が無くなり、窓がかち割られ、外へ向かう足跡もくっきり残ってる。事件当夜屋敷に居たのは時坂さん一人だが、彼に犯行は不可能だ。……身障者だからな。よって犯人は、夜9時~7時の間に押し入った強盗! この流れが1番妥当だ!」
なんとどんぶりな推論だろうか。「妥当」という裁量基準が、殺人事件にあっていいのか。
だが、絹子の憤りは、この場では完全に空回りしていた。
皆が一様に、強盗殺人で妥協するような姿勢をとり始めたのだ。純一など特に酷いもので、
「早いところ葬式あげちまおうぜ。なんせ俺は、財産目当てだからな」
と言って笑う。
―――淀んだ空気が漂い始めた。
絹子の反骨心が、轟々と音高く燃え上がってきた。
絶対に、この殺人事件を解決する。度肝を抜くようなトリックが使われているであろう、この事件を、あっと驚くどんでん返しのもとに。
馬越純一。
時坂太一郎。
石黒和枝。
阿沼浩平。
本間晃一。
姫村真洋。
―――この中に犯人がいる!
四ノ宮絹子はそう決め込んで、探偵活動を開始した。
帰途のパトカーで、武内刑事が不安げに福留に、
「……やはり、決め付けるのが早過ぎるのでは」
と忠言した。恫喝されるかと冷や冷やしていた彼だったが、予想外にも福留は軽く笑いった。
「……いいんだよ、名探偵様に任せておけば。手柄はどーせいつも、あの女のものだ。必ず『犯人』を見つけるさ。必ずな」
福留は、窓から見える遠い山々をうつろに眺めていていた。確かに青空と山麓の風合いは、心安まる。
メランコリックなんだなあ、と、武内は変な感想を抱いた。
コメント