12章目 ★2
「……カスミ君。ごめんなさい」

 どうして、彼女が謝るのだろうか。手の震えは、携帯にかたかたと振動と促し、動揺を隠さない。

「私が悪いの。全部私が。きちんと嫌だと言えばよかった。でも、もうこの体はね、作られたみたいに……、もう誰かに抱かれていないと、おかしくなりそうなの……。ねぇ、電話じゃらちが明かないわ。直接お話ししましょう」

 口の奥で、また交互に摩擦し合う歯たち。何かが私を掻きたてようとしている。

「カスミ君? どうし――」

 電話を切った。携帯は机に投げると、当たり所が悪く、地面に落ちてすぐに壊れた。



 もう深夜になろうとしていた。カスミ君は未だ寝るつもりはないらしかった。

 暗闇の中で、ゴキブリのようにバイブだけが振動している。

 仰向けの体勢のまま、そっと目を閉じた。

 何を考えるのだろうか。普段ならば、帰ればすぐに眠りについていた。しかし今日は違った。狂ったように、「くそっくそっくそっ」と呟いているだけだった。

 今も寝ているわけではなかった。避けたい現実があった。だけど、逃げたら一生後悔すると思っていたのだろう。だから、自分だけぐっすりと寝ているなんてできない。

 奈月さんは犯されていた。彼女は処女ではなかった。彼女とカスミ君と俊夫という人は病院での知り合いだった。

 俊夫は小さな少女が好きだった。嫌らしく笑って遊んだ経験があると言っていた。奈月とも遊んだと言っていた。いたずらをしたと言っていた。

 奈月さんが処女ではない事を彼は知っていた。奈月さんが年をとったのを聞くと、残念そうにしていた。19歳にはもう興味がないのだなと推測した。

 ……、悔しかった。奈月さんは本当は純粋な女の子だったのかもしれない。それを弄び、将来にまで影響するほどの穢れを与えた。

「……奈月」

 私は……カスミ君だった。人格は違うものでも体は同じだった。だから、この胸の高鳴りが何に向けられた怒りなのかもわかる。

 立ち上がった。机に向かった。椅子に座り、手紙を引出しから出した。ペンを持つ。何を書くのか気になった。宛先は奈月さんへだった。

 奈月……。心の中で僕は本当は君を好きだった。しかし、心の中の何かが阻むものを取り払う事ができなかった。

 結局、それは最後まで僕に取り付いたままだった。それが何なのか僕にも正直わからないよ。

 しかし、それでよかったと思う。僕は君を好きではない。告白され保留のままでい続けて、悩み続けた。いったい何を悩んでいたって言うんだ……。ふっ、自分でも心の中の闇がわからないさ。

 だけど、答えを即答できない時点で僕が君を愛すのは間違っていた。

 どちらにせよ……、僕は……。

 ごめんね、長らく待たせて。お疲れ様だったね。


 じゃ、申し訳ないんだけど、せっかくのお付き合いのお話。断らせていただきます。長い間友達でいてくれてありがとうございました。


 小さな封筒に入れて、封をした。

 カスミ君は自分の思いを知り、それでも奈月さんの告白を断った。

 それは彼女が穢れているからとか、そういう意味ではない。

 彼は行動に出るつもりなのだ。そう、前に見た映像のように、男を――俊夫を殺すのだ。人を殺せば、逃げられず、捕まれば出るのは困難。

 その間、奈月さんは一人カスミ君の代わりを探して、街を歩くのだろうか。他の男と体を重ねる時、カスミ君に悪いと思いながら中途半端に行うのだろうか。

 釈放されるまで何年かかるのだろうか。殺人を行い、出られる確証はあるのだろうか。

 どちらにせよ、人を殺せば恋人であるはずの奈月さんを困らせる事に間違いはない。ならば、心を鬼にしても断り、一時の恋愛感情は捨てさせて新たな恋に走って欲しい。彼女を愛するからこそ、彼女には幸せになってもらいたかったのだろう。

 殺人を行うのは必然だろうか。謝罪させるだけでは済まないのだろうか。

 いや、正常に生活できる。と確信しているなら、カスミ君自身こんな手紙を出さない。自由に歩き回れるかどうか、わからないからこそ、手紙に残して奈月さんに伝えるのだ。

 それほどまでにカスミ君の奈月さんという存在は大きかった。彼女の人生を狂わせたのが、殺人を抱かせるまでに憎かった。

 拳に力を入れる。すぐに抜く。それの繰り返しを行った。が、力を無くしたように溜め息をはいた。

「はぁ、僕に……そんな、事が、できる、だろうか」

 瞬間、私の中で何かが弾けた。

 内部から外に伝達して、体から命令されたように高揚感が湧き起こった。

 殺したい。

 何故だ、私は誰かを殺したい。いや、今もっとも憎むべき男を殺したい。将来なんて知らない。奈月さんに酷い事をしておいて、のうのうと生きているなんて許さない。

 そこまで思って私は理解した。

 そうか、私はこのために生まれたのだ。

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匿名読者
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