今日も奈月さんと同じ授業があった。思えば彼女とカスミ君の授業は被る事が多い。ゼミが同じというのはつまり、授業も似たものになるのだろうか。
各授業自体も基本的な事や、授業方針の説明が大半だった。この授業もやっと基礎を教え終わり、生徒に問題を解かせるところだった。そう言えば前に自己紹介なんかやっていたし、もしかしたら夏休み明けで、授業が後期に移ったのかもしれなかった。前期であるのは、季節的にありえない。
例によって、奈月さんと隣り通しに座っているため、カスミ君が昨日の事を怒っているか、躊躇いがちに聞いた。恐らく夢を見ている時に私が告げ口をしたため、そう思ったんだろう。
「大丈夫よ。怒ってないわ。元々私が無理に話した事だし。私もカスミ君が仕方なくやった、ってのもわかってるし」
奈月さんの言葉には幾分か、落胆したように調子が下がっているように聞こえた。保留とは言っても、告白の返事は既にわかっているのだ。
だけどそれは決めつけだった。
私は思うのだが、カスミ君はただ愛情というものを知らないだけで、自分が抱いている感情が、恋愛なのかすらもわからないのではないかと思った。誕生日を祝うだけなのに、一日一日数えていくなんて、それはもう友情を飛び越えている。そうだ、カスミ君はただ鈍いだけだった。だから、奈月さんを好きだったとしても気が付かない。
誕生日プレゼント……。それを機に二人の中を一気に狭めるのだ。プレゼントと一緒に告白のOKサイン。付き合ってくださいと言う。何とロマンチックだろうか。
それに幾らカスミ君が鈍いと言っても、何の思いもなしに体を許す事はないだろう。と思うし。
「もう……大丈夫なの? 別に僕はいいんだよ」
「……ねぇ、カスミ君」
「ん?」
彼女の髪が顔を隠して、秋の涼しい風が吹きぬけ覗ける瞳はどこか悲しげだった。何かを悔いているようにも感じた。
「もう、そういうの、よしてよ。自分の事だけど、私優しくされると駄目なんだ。つい甘えちゃって期待するの。だから、もう……許してよ」
「……それは、どういう意味の言葉?」
「だから、焦らさないで、もう断るんなら断って、欲しいの。そしたらもう期待しなくて済むから。寝る前とか、付き合ったら何しようとか……思わないから」
ギリ、ギリ。歯ぎしりがどこかで鳴っている。奥歯が互いに擦り合っているところを感じた。どうやら私がしていたらしい。カスミ君は憤りを感じたらしい。
「それは……まだ、待ってよ」
「何でよ! ……何でよ」
「もしかしたら、奈月の事が好きなのかもしれない。……だけど、それじゃいけない気がするんだ。胸の奥で沸き起こる。何かが駄目だよ。奈月と一緒にいちゃだめだよって。駅のホームで感じた、死ぬ恐怖。あれと似たものだった」
「………………」
胸の奥に感じる恐怖。そしてカスミ君はそれを知らない。ふむ、さてそれは何が原因だろうか。
駅で死ぬ恐怖を感じたのは私のせいだった。未来で殺害されるという漠然とした思いが、彼に伝わったのだろう。
だが、彼女との仲を邪魔するつもりはなかった。仮に私がカスミ君を好きでも手は出せないし、応援なんてしない。ましてや奈月さんが殺してしまうというのは、愛に飢えた場合の話であって、付き合ってしまえば問題は解決されるはずだった。
そうだ、カスミ君を救うためには私の感情はいらなかった。私は誰も好きになってはいけなかった。
「カスミ君、……やっぱり……」
「?」
「いや、何でもない。……ごめん、本当に、ごめんなさい」
それ以上、彼女は口を開こうとはしなかった。
受けた中で一番長い授業だった。
一限目の居心地の悪さと言ったらなかった。これは誕生日プレゼントで大いに喜ばせて、そのままお持ち帰りしちゃう流れを作らないと。
大学から帰ると、カスミ君はまたすぐに家を出ていこうとした。駅には行かなかった。駅を通り過ぎた。路地裏の狭い通路に入って行こうとした。どうやらこの前行った病院に行くらしい。恐らく俊夫という人に会いに行くのだろう。しっかり覚えてて感心だ。
と思ったが、上り坂を昇り、気が付けば病院の屋上を見下ろしていた。行き先は病院ではなかったらしい。そのまま木々が立ち並んだ、歩き難い森林を進んでいく。
数キロ歩くと樹木が消え、ベンチの片鱗が見える。行き先はここだったようだ。
「うん? あぁ、君か」
ベンチは二つあった。左側にその男は座っていた。私もその隣に腰かけた。
彼は雑誌を手に持っていた。表紙にはいかがわしい肌色が多くを占めていた。女の人の裸が表に大きく載っているのだから、中身は見なくても想像がつく。
「そ、それは?」
「あぁ、これ?」
カスミ君も若干引いているようで、内容を自慢げに見え付けるその男から距離を一歩置いていた。
「健全な男子ならわかるでしょう。このぐらい」
「……はぁ、わかりますけど、どうしてこの場所で?」
「だって、病院じゃゆっくりと読めないじゃないさ」
「つまり、また抜け出して来たって事ですよね。もう、本当に変わってないんですね」
彼等はどうやら病院で知り合った友人らしかった。入院歴の長いカスミ君なら、病院で友達ぐらい出来るのも不思議ではないのかもしれない。
二人の会話は昔の思い出話を懐かしむものだった。看護婦にいたずらしたり、だとか、奈月ちゃんにいたずらしたりだとか。
「あれ、今考えてみたら犯罪ですよ。奈月がまだ小さいからって泣くまでくすぐり続けるなんて」
「いやぁ、小さい子は可愛いからさぁ。つい虐めたくなっちゃうんだよねぇ」
その雑誌片手にそんな事を言うと、虐めるの意味をもっと深くまで考えてしまいそうだった。
うすら笑いを浮かべてカスミ君は、話題を変えて今度彼女にプレゼントをあげようと思ってるんですけど、何がいいですかね、と質問した。これ以上この話で盛り上がると、俊夫さんという人が奈月ちゃんへのいたずらを限りなく話し続ける気がした。
「あれ? そうだったの。じゃ、何か考えないとね。う~ん。とっても、オヤジの僕じゃ何も思いつかないしなぁ」
「そう……ですよねぇ」
あれ? 何で僕この人に質問してるんだ? とでも言いたげな表情だ。確かにこんなオヤジでは奈月ちゃんほどの可愛い女の子の趣味に合うプレゼントなんて、選べるわけがなかった。
ごめんなさい。カスミ君。私が間違ってた。やっぱり今日、もう一回話し合おうね。
「そうだ、ならさ。明日にでもプレゼント選びに行こうよ」
「はい? あなた病人ですよね? 大丈夫なんですか。ここらへんデパートなんてないし、電車とか車使わなきゃいけないんですよ?」
「あぁ、もう大丈夫大丈夫。カスミ君も知っての通り、体が悪いわけじゃないんだから。電車でしょ? 余裕じゃない。行こうよ、是非」
なるほど。その理屈で言えば出歩いても不都合はないわけだが、病院側が心配するのではないだろうか。まぁ頻繁に抜け出しているようだし、それほど気にする必要もないかもしれないが。
「いやぁ。楽しみになって来たぞ。よし、じゃ明日に備えて今日は寝ておこうかな。じゃ、今日はこのぐらいで」
そう言い名残惜しそうに雑誌を閉じると、手を振って坂を下って行った。
その背中に笑顔を見せるも、私の表情にはどこか疲れが表れていた。恐らく友人でも他人との関わるのは辛いのだろう。嫌なら断れば良かったのだ。全く。流されやすい体質なんだから。
でも、どうやら今日は恋愛相談は無くてもいいみたいだ。
昨日思ったように、やっぱり掃除でもした方がいいのかな、あぁでも、勝手に掃除したら不審に思われるかもなぁ……。
そんな事を思いながら、私もカスミ君と同じく、地平線に沈む夕日を眺めた。
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