デートの時はベンチで交わったと言っても、あちらが一方的に作業しただけで、気持ち良いとかいう思いは感じなかった。
しかし今回の場合は違った。カスミ君の意識のあるうちの行為だし、奈月さんも無理矢理勃たせる必要もない。幾分か興奮している。この体も動悸が激しい。カスミ君も奈月さんとの行為に何も感じていないわけではなかった。
四限の授業も残りわずかだった。これが終われば帰る事が出来た。奈月さんはもう家に帰っているのだろうか。
授業が始まる前の事だったが、
「無理言ってごめんね。勢いであんな事言っちゃたけど、嫌なら断っても良いから。私興奮すると止まらなくてさ、だから……」なんてメールに対し、
「大丈夫だよ。気にしてない。今は家?」
と返事をして、数分待っているというのに、奈月さんからの応答は未だない。恐らくわざと返事をしてこないのだろうと思った。すぐにでもカスミ君と逢いたいはずの奈月さんが、カスミ君のメールを無視するなど考えられない。彼女の方でも気持ちが昂って、質問されている事さえ忘れてしまっているのかもしれなかった。
結局、奈月さんがどこにいるかもわからないまま、四限は終わり、正門の前に立っていた。
「はぁ……せっかく大学が終わったのに、この後、奈月と逢わなくちゃいけなのか」
小さな呟きだった。駅までの道を歩く途中だった。何て事を言うのだと思った。しかし、カスミ君は奈月さんが嫌いではないのはわかっているので、ぶん殴るまでにはいかない。
「はぁ……何か、疲れたな、奈月とやり終わったらすぐに寝ちゃおう」
曇天の空を見上げて、二回目のため息だった。
やはり少し気になっていた。いくら入院していたとしても、カスミ君の他人に対する興味のなさは普通じゃなかった。
誰とも接したがらずに、暗闇が大好きで、帰れば寝るだけ。その人生では生きていると言えるものなのだろうか。いや、もしかしたら彼自身が、ただ単に死にたがっているだけなのかもしれなかった。
家の前に顔を上気させた奈月さんが立っていた。ニコニコさせて、近寄って来た。
「何だよ。まだベッドの上片付いてないってば」
「いいから。いいから」
メールでは遠慮がちに送ってきた癖に、実際は楽しみで仕方なかったのだ。本当に可愛い奴である。
玄関を開けると、見慣れた暗闇が出迎えた。電気を点けずに上がろうとすると、奈月さんが慣れた手付きで探しだして、明かりをつけた。どうやら何度もここに足を運んだ事があるらしい。
窓はあっても鏡はどこにもなかった。明かりを付けて初めてわかる。この部屋は家具が散乱していた。寝室らしき部屋に等身大の鏡もある。が、壊され破片も床に散らばったままだった。鏡が視界に入ると、自分の顔を見たくないのか、咄嗟に目をそむけた。
二階に上がるまでに奈月さんは懐かしいねぇ、なんて言って違う部屋に入って行こうとするから、カスミ君が止めていた。やっと、二階の階段を今上がっているところだった。
この家は少し異様だ。親もおらず、中身もこの有り様。確かカスミ君は両親に虐待を受けていたと話していたから、部屋の中が荒れるのは仕方ないかもしれない。だが普通、それをそのまま放置しておくものだろうか。掃除する気力もないのか、と心配になる。明日でもカスミ君が寝た後に掃除機をかけてあげようかなと思った。
が、カスミ君の自室は綺麗だった。いや、何も置いてないからこじんまりとして、綺麗に見えるだけだった。
ベッドには枕や毛布など無駄なものは乗っていない。片付けるというのは嘘だったのだ。
「ここが、カスミ君の部屋かぁ」
「? 奈月、うちに遊びに来た事あるよね?」
「う、ううん。あっ、いやまぁそうなんだけど、何かあっちの方が記憶に残ってるって言うかぁ」
「リビングで遊んだ覚えもないんだけど?」
「だから! ん~、だから……その、ここを通る前によく見たからそれで」
「そっか。まぁ確かに、父親は奈月を見かける度に手とか振ってたし、そりゃ覚えてても不思議じゃないかもね」
奈月さんはベッドにカスミ君は机の椅子に座った。奈月さんは取り繕ったように笑顔を見せていた。
「うん。でも、さ。カスミ君。お父さんは……」
「別にいいじゃない。そんな事」
「でも、お線香もあげないで、やっぱりちょっと可哀想かなって、私思うよ」
前に両親は死んだ。とカスミ君から聞いた。自分のせいだとも話していた。それは直接的にではなく、間接的に死においやり、殺したも同然だと。
「奈月はどうして父親が死んだか、知ってる?」
「……ふ、い、いや。私は何も」
呼吸が急に荒くなった。もう我慢ができないのだろうか。無駄話は止めて早く彼女の元へ行ってあげて欲しかった。
「母親が我慢の限界で殺したんだ。母はまだ優しかった。まだ僕の事を考えてくれたよ。でも僕が精神的におかしくなると、それがうつったみたいに、狂いだしてね。あっ、とと、こんな話は、聞きたくないか……何か、もう我慢の限界って感じだよ?」
唇を指で抑えて、スカートの上でもう一方の手は固く握られていた。指の間からこぼれる荒い息と、それを押し留めようと我慢する姿が、とても扇情的だった。
ベッドに腰かけた。躊躇もなしに彼女の肩を持って、ベッドに押し付ける。これから私にとっては悪夢のような時間が訪れる。私は奈月が好きと言っても、奈月さんの体が欲しいのではなかった。
服は脱がせた。下着まで行くと手が止まった。彼女が唇を噛んで、目に涙を浮かべたからだ。
「どうしたの?」
「……ううん、違うの。嬉しいの。ごめんね」
遠い記憶に眠る何かを見つめるように、私の頭の先を見つめると、数秒してから、いつものカスミ君大好きな奈月さんに戻った。優しい笑顔だった。
馬鹿だと思った。この男は本当に寝たらしい。最後まで行ったかどうか知らないが、視界が急に真っ暗になって、緩やかな息を立てている。寝てすぐだから夢は見ていないはずだ。つまり、私がこの体を完全に支配できるのである。すぐに謝る事も可能だろう。
「寝ちゃったか、すごいね、カスミ君は神経が図太い」
皮肉とも聞こえるその言葉を吐き、彼女は私の上を跨いだようだった。重みが起伏するように変わる。
衣服の擦れる音。服を着ているのだろう。どうやら、これで帰ってしまうらしい。私がここで引き留めても、カスミ君の代わりはできないし、それに寝ている間に会話できる人間なんてそうそういるもんじゃない。ここは、彼の威信にかけて静かにしている事にした。
「ふぅ、じゃあね。カスミ君。また大学で。本当に優しいカスミ君」
玄関で躊躇いがちにドアの閉まる音。鍵をしようか迷ったのだろう。こんな家に忍び込む泥棒はいませんよ~。小さく、言ってあげた。
私の寝息は規則正しく、夢を見れば幾らか乱れる。心配してる私をよそにいい気なものである。
さて、カスミ君と話したら、いったい何て追及してやろうか。
二時間後の事を思い、私の心の中で悪魔のようにそう考え始めた。
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