7章目 ★2
 告白を受けて次の日。今だすっきりしない目覚めながら、焦る様に着替えを始めた。

 行く支度が整うと、早足で駅まで歩いていく。だけど電車の中では、ぼぉーっと上を眺めて何かを考えているようだった。

 教室へは私が一番乗りで席に着いた。まだ一限目だった。一番後ろまで歩いていき、窓際の隅っこの方に座った。

 呼吸が荒い。さっきから貧乏ゆすりばかりしていた。何か考え事をしているようだった。恐らく奈月さんの事だ。カスミ君も奈月さんの告白を真面目に考えているようだった。

 昨日、奈月さんは告白している間ずっと俯いていた。指先は震えて、顔を見られるのが恥ずかしかったのだ。あまりに突然で応えに詰まり、沈黙する間も早く時が過ぎるのを祈っているようにも感じた。

 カスミ君が「まだもう少し待ってくれないかな」という言葉にさえ、安堵したように胸をなでおろして、成る丈顔を見せないようにそそくさと去って行った。

 それから今日まで彼女とは顔を会わせていない。

 この授業は彼女も受けるものだった。緊張しているのはそのせいかもしれない。
 告白への答えは用意していなかった。会っても気まずい雰囲気になるだけなのかもしれない。だが、カスミ君も知らずのうちに彼女を欲していた。教室へ誰よりも先に到着したという事が、一秒でも早く彼女と会いたい。という気持ちの表れなのだ。と、推測した。

 授業まで四十分あった。ドアが開いた。二番目に教室に入って来たのは、奈月さんだった。

「あ……」

 カスミ君の方は動揺していても、何事もなかったかのように彼女は、にこやかに手を振って、隣の席に座った。

 可愛いが、オシャレとも言い難い黒地に赤いレースが入った鞄に手を入れていた。カスミ君には一瞥もくれずに授業の用意なんてしている。

 さっきから視界に奈月さんしか映っていない。つまりカスミ君が彼女を見つめていた。髪を揺らして振り向く。

「何?」

「いや……」

 そう口ごもった。私も彼女のいつもと変わらぬ様子に驚いた。奈月さんの事だからてっきり顔を赤くして、それでも「返事は? 返事は?」と聞いて来るかと思っていた。もしかしたら、彼女の方も告白を失敗したと思い、なかった事にしてほしいのかもしれない。

「あのさ……」

 間をおいて、こちらの反応を待っていた。話し難い事なのだろう。机に置いた指先を交互させて、緊張をほぐしているようだった。こちらが動揺しているのに気づき、仕方なく話すといった感じだった。

「昨日の事気にしてるよね……」

「え、あ、いや……まぁ確かに」

「そうだよね、急だもんね。カスミ君にしてみれば」

 物思いにふける様に、目を細めた。

 はっと気が付いたように彼女は遠くを見渡し、壁につけられた時計を見つめた。あと三十分か……よし! と、自分に言い聞かせるように呟いた。

「カスミ君、実はね、私隠してる事があるの。とっても重大な事」

「ん、うん……」

「カスミ君あなた自分の病状把握できてないでしょ?」

「病状? 病院に居た時の? そんなの知ってる。親から受けた虐待で逃げるようにして架空の人格を作った。それが病状だ」

「うん、そう、そうなんだけど……。そんな……一言で済まされるものじゃ、ないんだよ。カスミ君のは」

 落胆している。どうやら彼の中に住むもう一つの人格が、ただ事ではない問題を孕んでいるらしい。

 私の貧乏ゆすりはいつの間にか止まっていた。カスミ君はそれまでのおどおどした態度は見せず、目付きを鋭くしていた。何かが癇に障ったようだった。

「……ねぇ、奈月」
「ん?……」
 声も冷たかった。

「そんな話はいいじゃない。僕も奈月も無事にそこから抜けて学校に行ってる。もうそんなものに恐れる必要はない。そうだよ、僕は僕。もう僕の中には僕しかいないんだよ」

 ……なるほど。そうか。二重人格が原因で入院していたのに、それが完治しないで出られるわけがない。つまり彼の中の人格のどちらかは消えたわけで、この中にはカスミ君一人しかいないはずなのだ。う~ん、じゃ、私はいったい何なんだ? 

 カスミ君は「奈月もその話は避けたがってたはずだよ」と説得するように言うが、「じゃ、昨日病院付近に行ったのは何だったの?」と言い返される。何に怒っているかはわからないが、デートの事に関しては全面的にカスミ君が悪いはずだ。奈月さんが勝手にカスミ君の体をいじっても、何も変わらない。

「カスミ君は、まだ何もわかってない。……何もわかってない」

「さっきから話が回りくどいなぁ。告白を謝ったり、僕の過去を蒸し返したり、最初は何か重大な事を隠してるって言ってたじゃない。つまり何が言いたいのさ、奈月は」

 沈黙が続いていた。教室の中にはこの二人のみの体温なのに、体の熱は上がっていくばかりだった。主に怒りによって体の中の炎は燃やされていた。

「……実は私ね、殺したい人が、いるのよ」

 ……え?

 耳を疑った。この場面で言うべきは殺しではなく、愛を語るべきだった。

 肩を震わせた。身を縮まらせて、咄嗟にほんの少し彼女から離れた。

「自分の感情がね、よくわからなくなる時があってね。愛情なのか、殺意なのかわからなくなってね、どうやって対処して良いかわからなくなる時もあってね」

 彼女の唇が震えている。狂っているように焦点も合っていない。怖かった。

「何言ってんだ……奈月。もういいよ。そういう大人を騙す悪い冗談はさ、そうだ今度またデートしよう。僕ももっとよく君の事を見ようと思ってた――」

「だからね、この前ね。ベンチで……あなたと交わったわ。寝ているところをズボンをおろして、勝手に入れたわ。それから五日も経ったのに忘れられないのよ、あの感覚が。だから……」

 目が見開いている。体は驚愕していた。

 どうして、言ってしまったんだ。奈月さんは確かにカスミ君の物で悦に浸った。私は起きていたからわかる。

 最初は私も驚いた。しかし始終行為に没頭する間の奈月さんは、喘ぐよりも泣いていて、爪を立ててでもカスミ君にしがみ付いていた。その様子からこの人は何かにすがらなければ生きていけない人なのだ、と感じた。考えてみれば、彼女も入院していたわけで、精神的に強い方ではない。

 カスミ君だって、十分気弱で頼りないが、そんな弱い二人が助け合って生きていくのも、素敵だなと思ったのだ。

「カスミ君、助けてよ。もう、何が何だかよくわからない。駄目だよ。愛と間違えて殺しちゃうよ。違うよ、殺すのと間違えてカスミ君犯しちゃったんだよ」

 怖気が走る。殺す……。深い記憶に眠った何かが蠕動を始めた。海馬に眠った記憶が私に見つけてもらいたがっていた。それは血に塗られた、駅のホームが眩しい、快晴の日の事だった。

「……それが、告白した理由か」

 殺される。私は誰かに……。いや、ありえない。私は生きている。

 彼女の精神状態は不安定だ。間違えてカスミ君を殺してしまってもおかしくなかった。

「違うの。そのセックスが原因と思うでしょ? でも実際は順序が逆。そうなの、私は入院していた時からカスミ君を好きだったの」

 順序が逆……。

 彼女はカスミ君を殺す可能性を持っていた。しかし、殺せば今この体は動いていない。

 しかし殺されていなければ、私が前に見た映像は矛盾する。

 そう、彼女の言う通り、これは順序が逆。私は殺されて生まれたのではない。殺される映像を見たから、それを救うべくカスミ君に宿ったのだ。あの映像は未来のもの。

 それで言えば、彼女はいつの日かカスミ君を殺すであろう。

「つまりセックスしちゃったのを焦って、それまで隠していた気持ちを僕にぶつけた」

「……そう、なの。今思えば、私はカスミ君だけが好きだった。カスミ君が好きだった。……カスミ君が、好きだった」

 手の震えが尋常ではない。これはもう一般人が見ても発狂していると断言できる。悪い言葉では精神異常者だ。唇が紫に変色していればヤクをやっているのではないかと疑われる。

「奈月。本当にやったんだね? 僕と」

「やった、やったわ」

 息を飲んだ。カスミ君にとってはその行為自体は割とどうでもいい事のようだった。確認を取ったのは、奈月さんのためだろう。

「それでそれが忘れない。だったね?」

「うん。……もう六日も経つのに、あの感覚が頭から離れないの」

 恐らくその思考は、男性の感じる性欲とは違い、その行為自体に意味を感じているのだろう。

 たとい愛の形がセックスではなく、キスだろうが、抱き合うだけだろうが、そんな事はどうでもいい。問題は愛しているという気持ちを表現する事だ。何としても体で伝えたいのだ。

 それが彼女の場合、過剰であるとただそれだけの事。

 カスミ君も疎遠せずに理解してあげると嬉しいのだけど。

「わかった。じゃ、今日。うちにおいで。ベッドの上は片づけておくから」

「え、あっ、うん。……わかった」

 告白の応えは、ないのだろうか。それともこれが頷いたというサイン? 遊ぼうと思っているなら付き合うくらいはわけないはず。それを何とも応えずに、家に呼んだのだから「奈月のために、とりあえずはその欲求を発散させてやろう」とでも思っているのだろう。悪い予感がした。

「じゃ、出席確認するんで、機械回してってくれ」

 気がつくと、周りには生徒が空きなく席についていた。授業が始まる時間だった。

「カスミ君、期待してるからね」

 唾を飲む。それが体を求めるものなのかどうかは定かではなかった。

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匿名読者
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