夕闇を歩く二つの影。 少年は少女の他愛も無い会話に彩りの欠けた相槌を返している。
「だから、永谷園のお茶漬けに本物のお茶を注ぐのは味付け海苔に醤油をかけるようなものなのよ」
潤った音色を冬の乾いた空気に滑らせながら、少女は嬉しそうに踵を弾ませている。
妖艶さを滲ませる長い黒髪と整った顔立ち、落ち着いた声色とは対照的に、幼げな立ち振る舞いが奇妙にユニゾンして不思議な魅力を散らしていた。
「茹でたイカに胡麻塩とのりたまをかける話は何処に行ったんだよ」
目つきの悪い少年が口元から溜息を漏らし、白い吐息は雪の様にひらひらと空を漂う。
手をポケットに突っ込み眉を細める彼はいかにも不真面目そうな出で立ちだが、呆れた表情からわずかの子供っぽさを浮かべいるのが見て取れる。
つまるところ、二人はまるで幼い子供の様だった。
ここ何日か肩を並べて帰路につく彼等は飽きもせず下らない会話を鎮座して暗闇に身を投げていた。
と、言っても、その話題は大概少女の唇から零れるもので、一方少年はふてくされた顔で言葉を拾い上げるのをやめないからいつまで経っても端から馬鹿らしいやり取りを繰り返すのだが。
「あ、そうだ。昨日考えたすっごい発見があるんだけれど、ハジメ君、もしかして聞きたくて堪らないかな?」
ニヤリと口の端を歪め人差し指を立てる少女は一見知的な印象を与えた。仕事の出来る社長秘書といった感じだ。
「それが零のスリーサイズの話だったとしても、聞くつもりはないな」
進行方向から視界を逸らすこともなくハジメと呼ばれた少年は無機質な声を咽から流した。
「零の体にもう飽きちゃったの!?」
過剰なリアクションにも触れることはないハジメは、余程零の扱いに慣れているのだろう。
少年の華麗なスルーに肩を落とす少女はいじけたようにハジメのふくらはぎを蹴り付けた。
「いって!」
何すんだ!?と振り返る少年の前に俯いた少女の暗い影が一つ。
「……聞いてよ…」
生まれたての猫の様な弱々しい震える声に
「わかったって。なんだよ?」
再び溜息を吐く少年。
「上から八十…」
「スリーサイズの事はいいから!!」
昨日思い付いた発見とやらを聞かせてくれ、とまた溜息。
「あら、残念」
バレバレの落ち込んだフリは蝶々結びが如く簡単に解け、ギラギラ光る眼差しに少年を映しながら嬉々爛々とこう言った。
「零ちゃん、この度空を飛ぶ方法を思い付いちゃったのです!」
一番星より早く輝きだした少女の目を暫し見つめてハジメは
「……お前は既にトンデるよ…」
今日一番大きな溜息を返した。
「で、その内容も聞かなきゃいけないのか?」
「フフフッ、本当は聞きたくてうずうずしてるくせに」
悪戯っぽく笑う少女は全てを引きつける様な魅力に包まれている。この微笑みが彼女を最も美しく彩る仕草であるように思える。
「…そっすね。教えて下さい零先生」
「いい子ね、ハジメ君。素直でよろしいわ」
零は少年の背中をバシバシ叩いて上機嫌だが、ハジメには変に抵抗しないことが正解であるとわかっているだけなのは、こちらからも簡単に見て取れる。
さっさと話して満足してくれと言わんばかりの投げやりな返事だった。
「じゃあ教えてあげましょう」
コホン、と演技じみた咳払いを一つ。
「帝拳高校と鈴蘭高校の番長が街を歩いているとします」
なんで番長なんだよ、というツッコミを受け流し彼女は続ける。
「二人は出会うべくして出会ってしまいました。そう、これは神が仕組んだ運命の悪戯とでも言うべき…」
「そのモノローグは必要なのか?」
「…そうね。いいところだったんだけど今回は省きましょう。
二人は擦れ違いざまに肩をぶつけてしまうのよ。勿論喧嘩になるのはわかるわよね?」
そうだな、と興味なさげな言葉。
「それで帝拳高校の番長が相手の胸ぐらを掴んでぐぃーっと持ち上げるの、片手で。足が浮いちゃうくらい」
拳を突き上げジェスチャーでその旨を伝えようとする零にハジメはそうだな、と返事をした。相変わらず面倒臭そうな声だが。
「でもね、鈴蘭高校の番長も負けてないの。体を持ち上げられながらも相手の胸ぐらを掴みかえしてこれまた凄い腕力で持ち上げるわけ。
さて、するとどうでしょう?二人は宙に浮いてるの!!ね?すごいと思わない!?大発見でしょ!!?」
彼女の言っていることが理解いただけるだろうか?
図で描くと分かりやすいので理解できていない方には図示することをお勧めする。
「すっ…すげぇぜ!零!!お前はホントに凄い発見をしたな!?」
「でしょ!?」
胸を反り出し腰に両手を当てる少女。大きく鳴らした鼻息と少し火照った頬が薄暗い道路に輝くネオンのようだ。
「まったくだぜ!でな、僕も一つわかったことがある」
「ふん?」
「お前がどうしようもない奴だってことだよ」
作り笑いと無理なハイテンションを脱ぎ捨てて、ハジメは零の額を強く人差し指で突いた。
「なんでよっ!?」
でこを押さえて唸る少女に呆れた様子でハジメは
「浮く訳ねぇだろ、バカか」
白い息を空に叩きつけた。
「片手でお互いを持ち上げあえる奴等がいてたまるか。
それに考えてもみろ。空中に漂う二人の番長……見たいか?そんなもん」
じっとりした眼差しに零はたじろぎながら
「……み、見たくはないです…」
だろ?とハジメは少女の肩を叩き
「余所でこんなこと自信満々に言うもんじゃないぞ?頭がおかしいと思われちまうから」
ニヤニヤ笑った。
ここぞとばかりに嫌味を零して、少年は実に愉快そうに笑う。
「でもやってみなきゃわからないでしょ!?」
それに腹が立ったのだろう。零は少年の手を振り払いその胸に飛び込んだ。
「てめぇ生意気なんだよこらぁ」
全く似合わない零の巻き舌にハジメはうなだれながらまた溜息を吐く。
「あ、あがんないし…」
学生服の詰襟を握り締めた小さく白い手に力を込めても少年の体はびくともしない。
少女の腕を振り解いて少年は
「離れろよ!気持ちわりぃ!!」
珍しく大きな声を出した。
その顔は先程沈んだばかりの夕日の様に紅く発熱していたが、暗闇がその様子を誤魔化している。
「気持ち悪いとか言うな!!」
少年の背を追いながら零は頬を膨らませている。
二人のどうでもいい会話はいつものように帰り道に沁みていく。乾いた空を潤していく。
冷えた空気に包まれて、何気ない日常がそこにはあった。
くだらないけれど、僅かだけれど、ゆっくりとした時の流れがそこにはあった。
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