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彼女の大きく見開いた目は驚愕の色を映しており、それを感じ取る前に僕に後悔の虫が集っていく。
以前百にしたことと同じ過ちを零に対して繰り返してしまうのだろうか?
『心を覗かれる』ということに過敏になりすぎている僕は、大切な人や時間の為に少しの辛抱も出来ないのだろうか?
ほとほと自分はつまらない、下らない、価値の無い人間だと今更ながら再確認しながら、だけどどこか諦めがつかない僕の口から
「わ、悪い……」
情け無い小さな音が漏れた。
それでも沈黙は続く。
零は言葉が耳に届いていないような面持ちで、放心したその肌はいつもより余計に白く映えている。
それ程までに僕の怒鳴り声が衝撃的だったのだろうか?
百の為に体を張ってくれた零に対して、感謝の意を伝えるどころか一番してはいけないことをしてしまった。
でも、僕はもうあの時の僕じゃない……筈だ。
失敗は次の成功の為にある。まだ手遅れじゃない……筈だ。
「悪かっ「ぷっ」
覚悟を決めて絞り出した謝罪の言葉は不審な音に遮られ、下げた頭を上げてみると顔を背けた零が小刻みに肩を揺らしていた。掌を口に押し当てて声を漏らさないように必死だった。
つまりこいつ、笑っている。
「………どうした、零」
僕の呼び掛けに長い髪をクシャクシャと掻き毟りながら息を我慢している零は、さっきとは裏腹に顔を真っ赤にして目尻を拭った。
「ご、ごめんなさい…でも、で……も…ぼ、『僕』ってあなた……」
所々で噴き出しながら、いや、噴き出す合間に言葉を置いていると言うのが正しいだろうか、彼女は腹を抱えながら言葉を並べていく。
「に……似合わなさすぎる……」
そう喋り終えると、もう限界とばかりに声を上げて笑い始めた。
この一人称に疑問符をうつヤツって言うのは結構いる。実際、自分でもこんな容貌に『僕』なんて真面目な喋り方は不似合いだといつも思っている。
しかしこれ程までに笑われたことも今までにない。何がツボにはまったのかわからないが、冷静で落ち着いたイメージの桃枝零は目の前にはおらず、細めた目が可愛らしいただの女の子が座っているだけだった。
と、言うか、僕が自分との、過去との葛藤に身を焦がしている間、こいつはそんな事ばかり考えていたのだろうか?なんてヤツだろう。
彼女は『ごめんなさい』と呟いたが、正直に言うと僕は安堵に包まれて不快感や怒りなんてモノを微塵も帯びていなかった。零の鈍感さが、意味不明さが有り難かった。
やっと頬の綻びを解いたと思ったら、僕を指さしてまた笑う。厨房からおばさんたちが不審そうにこちらを見つめている。今になってとてつもなく恥ずかしく感じて
「零だって自分の事名前で呼んでるじゃねぇか!」
と、言い返してみるが彼女の震えはなかなか治まらない。そろそろいい加減にしろ、と痺れを切らし始めたとき
「はぁ、はぁ…………ごめんなさい、取り乱しちゃったわ…」
と、息を切らし終えた。
恥ずかしそうに乱れた髪を掻き上げて、紅い頬に手を添える彼女は非常に艶めかしく、僕の方も紅葉してしまいそうだった。
「もう行くぞ」
気恥ずかしくなって冷えた床に椅子をガリガリと擦らせると
「ちょっと待って、まだ残ってるから………あ、『まだ零ちゃんが食べてる途中でしょうが!!』」
彼女はテーブルをドンっと叩きケラケラ笑う。
皿を一気に掻き込みながら、先程へそで沸かした茶がまだ残っているのだろう。何回か噎せ返しながらその長い食事を終えた。
食堂から一歩外へ出るとやはり廊下にも誰もおらず、寒気が足下と言わずに背筋やら首筋やらをくすぐった。
背中を丸める僕に
「ねぇ、このまま二人で手を繋いで教室に入ったらみんなどんな顔をするかしら?」
つややかな黒髪を震わせて彼女はおどけている。
「考えたくも、ないね」
屋内に溶ける白い吐息を交い潜りフローリング状の通路を軋ませ授業へ勇むふりをした。
ひょこひょこと隣を歩く零は何か嬉しそうな仕草で唇をペロペロ舐めている。
「自分の事『零』って呼ぶのには実は理由があったりするんだけど」
僕の言葉への応えであろう旋律を奏でながら『聞きたい?』と言わんばかりの緩んだ口元を視界の隅に踊らせて、それを出来るだけ気にしないようにしながら
「僕だってそうだよ」
と、飽きもしない素っ気ない返事を返した。
それは興味深いわ、との可愛らしい声を耳の裏で掻き消して歩を速める僕に彼女は見慣れた笑顔で付き添っている。
あれだ、僕はこいつのことが結構好きだ………自信を持って断言出来ないけれど。
初めは百に重なるところがあると思っていた。それは周囲の囁きや好奇によるものも勿論あったけれど、その為に彼女を嫌悪していたのだと思っていた。
君が唯一無二の華である事がそうさせているのだと思っていた。
でも、実は零は僕に似ている。
だから僕は彼女を日常から排他したいと感じていたのかもしれない。大嫌いな自分を遠避けて、姿見の鏡を叩き割ろうとしていたのだ。
その裏で、同族嫌悪のその影で、こんな腐った僕を慰めたいちっぽけな自己があって、舌のとどかない傷を舐め癒やすためにもう一人の『佐伯一』を求めていた。
この不思議な好意はそんなひねくれた嘴から吐き出されたものだろう。
『可愛さ余って憎さ百倍』、『臭い物程嗅ぎたくなる』、『嫌よ嫌よも好きのうち』…
先人達も巧いこと言ったものだ。
自分にない物を求める訳ではない。自分の黒塗りの汚点を何故か握り締めたくなる、天邪鬼な生き物だよ、人間ってのは。
ただ、一つ言えることは『僕と違って零は腐ってなんかいない』ということ。
彼女は純粋過ぎて、それが眩しくて、一番羨ましくて、そして僕の汚れにとそっくりだと感じた。凄い矛盾してるけど。
「よかったら今日も一緒に帰ろうぜ?」
恥ずかしながら、恥ずかしげも無い提案に零はビクリと飛び上がり
「えっ?………えっ?」
と挙動不審な叫びを繰り返した。
その様子がまた新鮮で、僕は無人の廊下に笑い声を響かせてしまった。
自己嫌悪でガリガリ頭を掻き毟る僕の隣で赤面するもう一人の僕がクスクス笑っていた。
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