百が僕の前から去り、日常はどう転回するのだろう?君に花を手向けてからたった一晩しか、二十四時間も経っていない筈なのに僕はもう君を恋しく想っている。何日も君と顔を合わせないことが今までにもあったけれどこれほどまでに君との会話に、君の笑顔に飢えていると偲ぶことがあっただろうか?
夢に現れることもない君の最後の面影を、目鼻立ちを、たとえそれが死に顔だったとしても、目に焼けつけることがなかったとしてもほんの少しだけ、刹那の時だけでもこの瞳に映すことがなかったのは取り返しのつかない愚行だったのだと激しい罪悪感のために眠れなかった夜は明けた。
こんなに短いまどろみの谷間では、君が僕の夢路に立ち寄る暇などなかったのかな?でも百がこっちに残ってられる四十九日の月日くらいじゃ満足に夢を結べるようになる自信は僕にはないんだよ。
真情は延々と夢境へ赴く講じたかったけれど目覚めだけはいやに良い朝、外では昇ったばかりの太陽が冬の冷たい空気を炙っているのだろうか?別れの日は曇っていた。当たり前だろう?君の死を嘆く日に好天であっていいはずがない。空が百の旅立ちを祝砲するのなら僕はそいつをかみ殺してやろう。
カーテンを開ける。まだ雲塊が籠もっている空は僕の心を投影しているようだった。
~NOW LOADING~
教室はいつもと変わりないけたたましさに充ちていて誰も百の死など知らないように何の変貌も帯びてはいない。そんな中でいつ置かれたのか、君の机の上の菊の花だけが場違いなたたずまいで僕を眺めており僕を現実へと突き放していた。君が後にした此岸へと連れ戻していた。
チャイムギリギリで教室に入る僕に奥の角の席から投げかけられる朝の挨拶も勿論無く、その花は自らが持つ意味を自覚しているかのようにじっと動かない。
席に着いた僕はこの列の最高尾が空白だとは、とても受け止めきれずに頬杖をついた。溜息をついた。振り替えりはしなかった。
昨日、百の死を涙で飾っていた女子生徒は友人数人で談笑している。その横顔の緩む頬を見て
なんだ、やっぱり僕の方が百のことを悼んでいたんじゃないか
なんて巡らす僕は本当に冷淡な人間なんだろう。
「よう一。……残念…だったな…」
残念って何だよ?そんな簡単な、諦めの言葉で納得できることかよ?
「俺さ、色々調べちゃったよ。死人を生き返らせる方法とか…「住吉」
そこで住吉の言葉を断ち切った。
「もう先生来るだろ?席に戻った方がいいぜ」
まだ何か言い足りなさそうな住吉は釈然としない顔色で自席へと踵を返す。
生き返らせる?そんなに軽いもんじゃねぇよ、百の命は。
キミの死を認めたくないのかそうでないのか、森羅万象に対して仏頂面を向ける僕は次第に腐っていく。君の消失は世界からしてみれば取るに足りない些細な出来事だとしても、僕を壊すには十分過ぎる痛打で、悲哀だった。
「みんな、芦原については悲しいことだがいつまでも暗い顔をしていてはだめだぞ。芦原だってお前たちがずっと悲しんでいることを望んでなんかいないはずだ。芦原の分も力強く生きていってくれ」
HRが始まるなり担任教師がそう言った。
ふざけるな。
百の願っていることがお前にわかるのか?悲しむことが悪いことかよ?百の分も生きろ?百の人生は百だけのモノだろ?僕に、コイツ等に代わりが務まる筈がない。そんなに薄っぺらなモノじゃない。
僕は拳を強く握り唇を噛みしめた。
わかっている。住吉にしてもこの先生にしても悪気がある訳じゃないことは理解している。百の命を軽視するつもりではないことは心得ているんだ、十分に。
でも今の僕にはこうする他に無いんだよ。どうしようもない感情を何かに向けるしか、怒りに変えるしか、抑えがたい胸の痛みを紛らすことができないんだよ。
それがわかっていながらヒステリックなとらえ方しかできない自分自信も不愉快だ。
気分が悪いと半ば本心も交えた嘘を吐き、HR後直ぐ早退した。
何がしたいわけでもなくポケットに手を突っ込んでブラブラと歩いていると、気がつけば百の家の前だった。何時ぶりだろう?ここを訪れるのは…つい最近だったな。百の死を聞いてすぐ母親と一緒に足を運んだんだった。……じゃあ君が生きているうちにここに来たのはいつが最後だったか…
「ハジメ君?どうしたの?学校は?」
振り向けば声の主は百の母親だった。
「おばさん、お久しぶりです」
「昨日会ったじゃない?サボっちゃったんでしょ?かわらないわねぇ、立ち話もなんだからあがっていって」
誘われるがままに座敷に通され…過去の記憶にはないソレが、仏壇が俺の目を覆った。
「遊びに来るの久しぶりね」
お茶を出してくれたおばさんは笑っていたがやはり寂しげな影は隠しきれていない。 百に手を合わせた後、彼女は幾つか思い出を語りながら、僕はそれに相槌を打ちつつ懐かしんでいた。彼女は昔と全く変わっていない。幼い日の優しい百の母親が此処にいる。目の前にいる。あの頃に戻ったような気がして僕の苦痛は少し和らぎ、どうしようもなくわびしくなった。
「ニャー」
ふと目をやると小さな黒猫が部屋の角で喉を鳴らしている。
こいつだ。
こいつが百の命を奪ったんだ。
憎悪と憤激が腹の中で煮えくり返り、沸騰し、その蒸気が視界を霞ませ思考の隙間に霧を張っていくのを僕は静かに感じ取っていた。
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