第二章 桶狭間の戦 ★1
始まっていきなりなのだが、頭が痛い。
あの宴会から一日が経ち、俺は理子の料理をたらふく食べた。
その後、裕奈さんに無理矢理飲まされた日本酒でかなり酔いが回り、そのまま倒れたらしい。

途中からは瑞姫と美優からの証言のため、自分では正確には覚えていない。

昨日からお馴染みの瑞姫の部屋の天井が目を開くと見える。
布団の中で眠っていたところどれぐらい寝ていたのだろうかと気にしながらもを自力で起き上がり、横にいつの間にか置いてあった南蛮料理らしきものを食べた。うまかった。

春の真昼に降り注ぐ太陽の中、ひたすらに旨い食事を取っているところへ瑞姫が部屋へと戻ってきた。

「お、起きたか。具合はどうだ?」
「ん、まあぼちぼち。とりあえずこの通り飯は食えるぞ」

心配してくれる人がいるというのは安心ができる。それが一日前に刀を俺の首にあてた人間としても。

「どうだ、暇潰しにでも私と戦戯でもせぬか?しばらくの内政は美優と理子に任せるておるから、私のすることが策の勉強しかないわけで……」

「でも勉強は嫌だから、実践に近い戦戯で勉強の代わりにするために俺の元へ来た、ということだな?」

ぶんぶんと自分の頭を縦に振る瑞姫。どうやら根っからの勉強嫌いらしい。
よくそんなので君主になれたものだ、と感心してしまったが、褒められたものではないと考えを自分の中で即座に取り消す。

瑞姫は「ちょっと待てよ……」と言いながら違い棚の下にある小さな物入れから戦戯盤を取りだそうとする。

腰から太ももの半ばまでを覆い隠す布、南蛮語で「すかーと」と言うらしいが、その「すかーと」の内側を見てみたいという性欲にも近い衝動が一瞬間走るも、我に帰り自分で自分に呆れてしまい、その衝動も無きに等しいものとなってしまった。
言い訳になってしまうが、俺とて元服又は裳着の式からその三、四年後くらいに渡って続く、所謂思春期の真っ盛りにいるのだから、それくらいの衝動は走ってもご勘弁願いたい。

「ん、どうしたのだ?」

何か俺の顔に異変があったのだろうか、瑞姫はそれに気づいたらしく、俺の顔をまじまじと見ながら質問をぶつける。

「いや、何でもない。大したことじゃないから」

俺は先ほどの失態を悟られまいと出来るだけ冷静を装い返事をする。
悟られたら何と言われることやら。

「よし、悠。駒を並べるのを手伝え」
「あいよ」

俺は箱の中に入れられた戦戯用の駒を一つずつ取り出し、升目の中へと並べていく。
瑞姫も自分の陣地に相当する場所に駒を並べる。

そもそも、戦戯とは何か?と言われると、実際の戦場を模した、駒を動かして相手の駒を「討ちとる」ものである。
駒も数種類あり、一歩先にしか移動できないものもあれば、斜めに移動できたりするものがあったりと、駒の種類は多岐に渡る。
俺がまだ幼いころはよく親父にこれで兵法の定石を叩き込まれたものだ。戦戯は野戦にしか対応していないものの、お陰で野戦は幾分マシになった。

「私からの攻撃でいいか?」
「どうぞ」

一応瑞姫は確認をとったもののその手は既に動いており、駒は確認を取られてから間もなく動かされていた。

しかし今回は見たことの無い手を打ってきたものだ。数あまたの戦戯を様々な同志としてきたものの、ここまで定石破りな手を使うのは恐らく瑞姫ぐらいしかいないはずだ。
とりあえず瑞姫の失策を待つ、守りを堅めに行くために大将の駒の近くに駒を集中させ、その中でも戦いに使えそうな駒のみを攻撃に移す、という戦法を取ることにしよう。

俺は駒を少し下げて攻撃に備える。瑞姫は変則的な駒の動かし方を続け、互いの順番を繰り返していくうちに二つの陣ができた(ただし瑞姫のは陣と言えるかは明言しかねる)。

陣の中の兵を微調整した後、先に動いたのは瑞姫だった。
自分の陣に隙間を作り、攻撃をする準備を全て整える瑞姫。しかし瑞姫の行動は敵にも隙を与えることになる。
すかさず攻撃用の駒を敵陣に突っ込ませ、駒を積極的に「討ち取り」に行く。

「悠、待ったは無しだからな?」

瑞姫は今まで保たれていた沈黙を破るかのように口を開き、駒を動かした。
この瞬間、俺は相手の失策を招くどころか、自らの失策を招いていたということに気付いた。

人間に例えると、裕奈さんのような豪傑な人だろうか。それにあたる駒が瑞姫の駒のせいでどこにも移動できなくなっているのである。

かなり変則的だが、「釣り野伏せ」というものになるのだろうか。
自分の軍を適度に分割させ、相手に逃げたと思わせて誘い込み、完全に包囲してから敵を殲滅する策だ。
まさかこんなに気持ちよく敵の策に嵌められるとは思わなかった。

「案外悠は単純だったか。神楽家の人間は強いかと思っていたが、まさかこれに引っ掛かるとは……理子でも引っ掛からなかったぞ?」

年下に負けた……だと?
もう神楽家の立場が危うい。ごめん、親父。尾張国の女の子に負けたよ。しかも年下に。
いやいや、気を取り戻せ。ここで負けたら瑞姫に隙がある、って大口叩いたのに示しがつかないじゃないか!

俺は釣り野伏せが仕掛けられた僅かな隙にもう一隊を突撃させた。
武将格の駒がやられたなら、それを倍にして返せばいい。
突撃ついでに足軽隊を蹴散らし、相手の武将を丸裸にしていく。防御は既に出来ているので万全だ。

「うっ」と声を漏らすも、今度はその駒を討ち取ろうと躍起になる瑞姫。
防御となる最低限の陣をも崩し、徹底的に一つの駒を叩き割る位の勢いで包囲網を展開していく。

「瑞姫の弱点が分かった」

俺は逆方面から侵攻を進めるべく武将格の駒を捨て、逆方面からの速攻侵攻を始める。
しかし瑞姫はそれに見向きもせず武将格の駒からの犠牲を少なくするために遠回りな方法で攻めていく。

俺は中途半端に残った防衛線を蹴散らし、大将格の駒をも丸裸にしてしまった。
流石にこれに気付いた瑞姫は慌てて包囲網を防衛に回すも、不十分な防衛、侵攻を無視したこと、そして犠牲を払ってまでも駒を取ろうとしなかったこと、この三点が瑞姫の痛手となり、俺は逆転勝利をものにすることができた。

「も、もう少しで勝てたのに……無念だ」

「瑞姫が防御さえ怠らなかったら俺が負けていた勝負だったな。言っただろ、『少し粗い』って」

「な、なるほど……もう少し詳しく教えてくれぬか?」
「あいよ」

人というのは他人の干渉によって変わることが出来る。良い意味でも、悪い意味でも変わる。
瑞姫を良い方向に導くことが出来るかどうかは甚だ疑問だが、自分の出来ることを精一杯することにしよう。

「不十分な防衛」「侵攻を無視」――この二つは大きな欠点となりうる。
「犠牲を払ってでも武将を討ち取る」、これは戦戯のみで使われる技術である。
まずはこの二点を分かってもらう必要性がある。

「例えば、この大将を瑞姫だとする。瑞姫なら、最初に野戦で何をする?」

「それは決まっておる。陣の構築だろう?」

その通りだ。陣も組まずに無秩序なままで突撃するのは今の一向一揆衆ぐらいしかしないだろう。
それほど陣を組む、ということは最も基本的なことであり、同時に大切なことでもあるのだ。

「じゃあ陣を組もう。瑞姫、好きなようにその駒で陣を組んで」

「分かった、少し待っておれ……」

再び先ほどの変則的な陣を構築していく瑞姫。
よくよく見れば、隙があるようで無いだまし絵のような陣形だ。全体を冷静に見ていかないと危うく地獄に嵌りそうだ。

「これだ。それで次は何をするのだ?」

「それなら、今川の軍が押し寄せてきたとする。右側から攻めてきたけど、この場合どうする?」

実際の事と考えるとやはり可能性があるのが美濃の斎藤、甲斐の武田、そして駿河の今川だろう。
今の状況では三河の徳川が攻めてくるとは考えがたい。

「それなら……駿河に近いほうの城を普請、籠城戦の準備をする。兵糧も忘れずの」

守りに徹していた防御線が一気に崩され、右側に偏る。
これが瑞姫の弱点「不十分な防衛」である。

「なら分隊を作ろうか。これならどうする?」

右側にいた大軍を少しだけ削り、正面に奇兵隊にも近い軍を作る。

「これなら……数が多いほうを潰すかの。小さいのはいつでも潰せよう」

これが二つ目、「侵攻の無視」。
これらが揃うと、痛手となり……

「残念でした」

本体を襲うつもりだった瑞姫の軍隊は分隊により悉く分解されていく。当然、このままでは侵攻されたら即終了、といった由々しき状況のみが待ち受けているわけだ。

「ゆ、悠!!何故私は勝てないのだ!!
 これでは今川でなくとも尾張が滅んでしまうではないか!!」

「そうだな。瑞姫には二つの弱点がある。
 一つは『防衛に余裕を持たせていないこと』。さっきみたいに分隊をつくられるとそれに対応できなくなること。
 もう一つは『寡兵を侮っていること』。寡兵も強いところは強いし、寡兵ならではの利点もあるからな。行動しやすいとか、ばらつきにくいというところ、それと敵にばれにくいということか」

奇襲をするにも、人数が少ないほうが楽であるのは確かだ。
三国志に登場する甘寧興覇は曹操が濡須に侵攻する際、僅か百人余りの手勢で夜半奇襲を行ったと言われている。
流石に今の時代百人余りで奇襲をかける人間は見ないが、少ない人数での攻撃は侮るべきものではない。

「な、なるほど。つまり私は様々な事を考えなければいけない訳なのだな。
 休みの日にわざわざすまないな、悠。これで私が一つ賢くなったぞ」

「それはよかった。俺でよければいつでも力を貸してやるからな」

「頼りにしているぞ、悠!」

瑞姫は俺に向かって微笑んだ。
女の子の笑顔が久しぶりに可愛く見えたかもしれない。というか女の子が笑っている姿を見ること自体、久しぶりなのかもしれない。

少し頭を使ったので甘いものが食べたいな……そんな考えが頭を過り、完全に休養体制に入っていたその時だった。
激しい足音が聞こえ、その音は大きく、近づいていく。

「み、瑞姫さまっ!」

幾分慌ただしい様子で美優が部屋へと入ってきた。
息を切らし、かなり急ぎの用であるというのがその様子から窺える。

「何だ美優。随分と騒がしいが何用だ?」

「そ、それが……」

全力で走った後なので少し顔が赤くなっていたが、それ以上に際立っていたのが蒼白になった顔だった。
まるで化物を見たかのような、そんな感情が火照った顔の底に現れていた。

「い、今川の軍勢が我々に攻めてくるのを見て。その数、兵ニ万五千……!」

「に、ニ万五千だと……!美優、部屋に裕奈と理子を呼べ!緊急軍議だ!」

那古野城は、混乱に包まれた。
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匿名読者
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