ヴァンス・オブ・ザ・ハウスデッドは改造人間である。
その多くを語るなら俗に『ドラキュラ』と呼ばれる吸血動物の一種で、『コンミナス・ノクターナー(夜の一族)』の始祖だ。
ドラキュラは数多くある呼び名の一つで、正確な名称はない。ヴァンの悪名のように誰かが勝手につけ、誰かが勝手に広め、そして時代に定着した。日本で言う吸血鬼の原点は古代サマリアの出生である『真祖』で、ブラム・ストーカーの本で例えるなら『陽の下を歩く者(デイ・ウォーカー)』と呼ばれる完璧な存在として有名である。イギリス人のヴァンパイア・ハンターが使う十字架や聖水などの弱点が一切通用せず、本能として、あるいは理性として赴くままに人間の首筋に牙を突き立て、生き血を啜り、渇きを潤す――と、オリジナル以外の吸血鬼は東ヨーロッパの伝承に起源をもつものが強い。
映画やノベルズ、TVゲームといった身近な情報媒体の登場により大人子供にまでその知名度を爆発的に広めた怪物や化物、怪異。観測者の正体はだいたいが今や人間社会に溶け込んだ『そういった類』の存在であるが、大雑把に言うなら彼らは不老不死生物でも何でもない。
吸血鬼の場合、能力の一端として自己修復機能が備わっているだけで、ただ傷の治りが早いというだけなのだ。そもそも骨格からして人間と異なるのだから、新陳代謝を含めて従来の生物と比較するのは、話からして酷と言うものだろう。
少年の見解通り、体外にも持ち運べる心臓を損傷すれば、ヴァンは死ぬ。しかし、問題はその心臓にあった。大沢財閥が獲得する前に、件の臓物は二回ほど転々と誰とも知れない他人の手の内に渡ったのだが――今の一度も、心臓を刺しヴァンを殺そうとするものは、誰一人としていなかったのだ。
それは、心臓と言う名の物質(ものじち)を集中に収めて置くことでヴァンス・オブ・ザ・ハウスデッドというイニシアチブを機能させ独占したいがため――ではない。知識人以外の手に心臓が渡ったなら通常、そう考えるのが普通だろうが、厳密には根底を一度に覆すもう一つの裏設定が存在する。アウトライナーは観測者を世界の付属品にして消耗品と指したが――事実、その一点だけは正解だった。
切って切り離せるものでないなら、数千年に渡って世界を監視してきた観測者とは、つまり代替の利く役柄なのだ。しかし、ヴァンは殺せる。だと言うのに代替が利くとは、考えれば矛盾しているようにも思えるが――
矛盾はしていなかった。
吸血鬼を殺し観測者が減ると言うのなら――心臓を刺したものが新たな吸血鬼となり観測者が補充される。プラマイゼロの要領で、吸血鬼の『引継ぎ』は心臓の破壊により実行されるのだ。ヴァンもそのトラップに引っ掛かり――自分の意思とは無関係に観測者となった。
吸血鬼の心臓を保有していた先代の名はヴラド・ツェペシュ。ツェペシュとは串刺しを意味するヴラドに対する蔑称で正式にはヴラド・ドラクリヤ、またはヴラディスラウス・ドラクリヤと呼ぶのが正しい。
ドラキュラ発祥の地はどうしてもトランシルヴァニアのイメージがありがちだが、ワラキア公国の大公であるヴラドは語られるべき地方が違う。ルーマニアの棺桶館を居城とし、串刺し公の称号は例の質量を有した『影』に由来するが――当時はワラキア領内での粛清も多く、ヴラドはトルコ軍のみならず反乱を企てた自国の貴族や民も数多く串刺しにして処刑していた。1460年に影を使役した串刺し刑を目の当たりにしたオスマン帝国の密偵がその情報を持ち帰り、ヴラドを化物として恐れたオスマン帝国はフランスと密約を交わしブカレスト近郊で勃発した戦争により人海戦術を駆使してその命を奪った。
心臓を奪い奪われるストーリーを省略するも、ここでわずかにヴァンの正体について触れておくなら――彼はその戦線でヴラドの心臓を刺した英雄ということである。
新たな『心臓』を身体の内側に収め、観測者となったヴァンが『人間』と『過去』への未練と執着を断ち切るのに費やした時間は、最初の一週間で十分だった。
今から五百年程前はまだ、漠然とした自分の正体に確信と呼べるものを感じ取ることができなかったが――異変は、数えて二日目の夜に起きた。国を捨て、名誉を捨て、家族を捨て――放浪の旅に出た自分を招き入れてくれた農家の一室で、ヴァンは喉の渇きに気付いた。
夫人に頼み、飲み水を頂戴する――だが、コップ一杯のそれを喉に通しても、決して咽喉の飢渇が潤うことはない。悪戯に量を増やしたところで、結果は同じだった。ブカレスト攻略戦から既に、身体のほうは食事と睡眠を必要としなくなっていたが、こんなことはここ二日の内に例を見なかっただけに、考えて至る答えもなく、家族のものが寝付いてからこっそりと見張りの番に就き――夜盗を警戒しながら一晩を明かした。
三日目の朝は報恩に主人の農業を手伝い、家人との別れは昼間にすることにした。慣れない畑仕事に悪戦苦闘していると、遠くで蝶を追い駆けていた子女がぬかるみに足を取られ、転ぶのが見えた。泣き喚く幼子のあやし方など知るはずもなかったが、見て見ぬ振りというわけにもいかず、歩み寄り手を取って子女を起き上がらせる――そして、離したヴァンの手のひらには血が付いていた。転んだ拍子に、子女が手のひらを擦り切っていたのだ。
妙な感じがした。
フンフンと鼻が鳴る。田畑を耕し泥まみれとなっていた手のひらに付いた一点の染みを――ヴァンは、無性に舐めてみたくなった。
赤く泣き腫らした子女の目に――自分の血を舐め取る青年の姿が映る。初めて飲んだ紅い液体は、絡まるほど粘度の高く、濃厚な鉄錆の匂いに満ちていた。それに続いて、身体が沸騰するような猛烈な渇きとその底辺を満たしきる快楽がヴァンを襲う。
妙な感じが、した。
胸が軋み、紅い色彩が視界を埋めた。動悸が。呼吸が乱れて。意識が。そして――
次に目を覚ましたヴァンの視界に飛び込んできたのは、血溜りの中に横倒しとなった子女の死体。どんな手段を用いたのか、その身体は内蔵を含めて大部分が消失していて、傷口から流れ出た血液は、地面に広がり土壌を赤く染めあげていて、もうどうやっても子女が助からないことを如実に物語っていた。
そして自分の口周りに血の赤色が引いてあることに気が付いたのは、乾いた発砲音を耳にした直後だった。
田畑の上に無様に転がり、背中の方に視線を向け瞬時に結論に至る。自分の所有物である鉄砲は、家内に立てかけたままだった――使い方は、昨日の内に教えてある。万が一のために、と、自分が夕食の場で家人にレクチャーしたのだった。
撃たれた脇腹を手で押さえながら、ヴァンは何とか顔を上げた。そこには憤怒の形相に顔を歪めた夫妻が立っていた。主人が手にしているイェニチェリの短小銃からは硝煙がたっている。揃って、殺意にも近い敵意を自分に向けてくる。
この化物、と夫人が叫んだ。
右手で押さえた傷口からは、真っ赤な鮮血が指の間から流れ出ている。間髪入れずに眉間に銃口を突きつけられ――半日で築き上げた人間関係は、わずか一分足らずで決壊した。
ともすれば深い絶望しかない目先の光景に、ヴァンは身動き一つ見せない。感情的にもならない。悲しむのも、悔やむのも、泣き喚きもしない。怒りすらない。ただ冷静だった。
なぜなら、ヴァンは思い出したからだ。
一滴の血を吸ったことで――身体の内側にある心臓は、『吸血鬼としての鼓動』を、静かに加速させていた。『真祖』から三代に渡って受け継がれた『陽の下を歩く者』の魂が、知識が、今この時、完全にヴァンと一体化したのだ。
同時に吸血鬼の能力の使い方を習得したヴァンには、脇腹の弾傷も眉間の銃口も、もはや何の効力もなさない。二人の人間を殺すことなど、造作もないことだった。
昨日世話になった夫妻の『死体』を一瞥したヴァンの顔には何の感慨も浮かばず。
ただ作業を終えたといった感じだった。
そしてヴァンは即座に理解する。自分は血を吸わないと生きていけない。しかしそれは殺すという意味でも命をいただくという意味でもなく、ただ吸血鬼が食事をしなくてはならないという意味なのだ。人間は平気で動植物を殺し食すというのに、たった一人の人間を殺した吸血鬼が悪者になってしまうなんて、そんな理不尽な話があるだろうか。
いくら観測者の最上級(ハイエンド)、『陽の下を歩く者』といえど本能には逆らえない。
どれほど足掻いても、我慢しても自分の中に巣食う化物を消すことはできない。
だからヴァンは我慢することをやめた。
オレは生きていく。
ヴァンは確信した。
オレは生きていける。
いまさらになって、涙が零れた。
頬を伝い滴(しずく)が流れ続ける。そこにあったのは勿論悲しみばかりだが、ほんの少しだけ別の感情も入り混じっていた。
開放感。
ヴァンは開放感に酔いしれていた。
ヒトの心という拘束衣を脱ぎ捨てた、その開放感に。
ぽつ――ぽつと雨が降り出していた。まるでこちらに誘われるように、空も泣き始めていた。足は意に反してぴくりとも動かない。その代わり、のろのろと緩慢な動きで手のひらを天に向けて雨を受け止める。冷たいとも心地よいとも思わなかった。ただ雨が不浄を落としてくれると言うのなら、この醜い姿を洗い流してくれないのはなぜか。
『醜い化物』に姿を変えて、ヴァンは天上に向けて咆哮した。
今この瞬間、『陽の下を歩く者』は、本当の意味でここに産まれ、誕生した。
それから百年、二百年、三百年……心が砕けるには十分すぎる時間がすぎ、とある事情から人間としての在り方を今一度思い直し軍団の一員に加わったヴァンが『心臓』を奪われたのはごく最近のことである。
正確には一年と五ヶ月前。
心臓を体外に持ち出すなどという馬鹿げた考えに至った理由は考えるに馬鹿げていたが、そんなことは先代の吸血鬼三人の記憶にない行為だっただけに、その結果としてヴァンは不完全で不安定な吸血鬼となってしまった。
まず驚いたことは自分に吸血衝動がなくなったということであったのだが――それに合わせて、味覚も一時的に戻った。相変わらず食事の必要はなかったが――この辺り、自分の存在がいかに中途半端なものになってしまったのかを、文字通り身を持って表している。吸血鬼のくせに睡眠をとらなければならないのにはさすがにどうかと思ったのだが、愚痴を聞かせる相手もいなかった。
そもそも口下手な自分が愚痴を零している姿というのもなかなか想像し難い。『心臓』を手に入れて排他的になったというのに、いざ『心臓』を失えば何も感じなくなるし喜怒哀楽の情も湧かなくなったが、もともと感情を表に出すのは苦手な性分なのだ。模倣のように『手本』を提示されればそれを演じどんな役柄でもこなせる自信はあるが、矯正などできない。エピソードが作った田中虎太郎という架空のキャラクターへの過剰演出に同意したのも、ひょっとしたら感情への執念がまだ自分の中にあるからなのかもしれない。
――しかし、それも『心臓』のない自分には分からないことだ。
そう考えて、一人の人間として感傷的になれないぶん一機の機兵として自分を見直せば、『陽の下を歩く者』はまだ十二分に機能的だった。
通常、吸血鬼は鏡に映らず己の影もないが、ヴァンには影がある。これも自身から心臓を抜き取ったのが原因で、己の能力の経緯(いきさつ)についてを語るなら、過半数が失敗談になる。最大の強みである『本体への変身』が使えなくなったのには歯噛みするばかりだが、変身の一端である影の使役と自己修復の能力が残っていたのは不幸中の幸いと言えるだろう。ヴァンの影は質量を有する。銃火器などの複雑な得物は無理だが、時に野獣のような動きで地面を這い回る影は、発動と同時に自らの意思によってその形状を自在に変形させ、硬度の度合いもダイヤモンドの硬さから柔軟なクッション並にまで自由自在に調節できる。この五百年で影の使い方は熟知したが、己の影を使用するにあたってのデメリットは『武装の消失』だった。漆黒の手刀も突撃槍も――光源が無くなれば消えてしまう。自分の影だから、だから消えてしまう。心臓を所持していた頃と違って、そんな当たり前の常識が、観測者の自分にも通用するようになっていた。
しかしそれでも、質量の小さい物質――たとえば衣類や雨傘、トランクといった日常的用品は自分の影から切り取って使えるし、光がない場所でも消えることはない。ヴァンが纏っている手袋やコートは黒の一色だが、意識すれば精密に彩色を施すことも可能だ。自分の記憶を辿れば前例こそないが、別にファッション気取りでやっているわけではないのだから、わざわざ豪華絢爛な身なりになる必要もないというものだろう。
かつての軍団の面子で競うなら、競うまでもなく力を失ったヴァンの立ち居地は末端にまで格下げとなった。これはグレゴリオの一撃から取って理解した感想だが、そうと断言するまではいかない。
軍団などと呼ばれていたが、かの組織の正式名称はヴァンも知らない。自分が属していた組織の体系を知らないというのもふざけた話ではあるが、知らないものは本当に知らないのだから仕方がない。ただ一つだけ言えるのは、『アレ』はどんなに砂山を掻き分けても決して内側が見えてこない、空気のような組織だったということだ。活動期間中は互いに顔を合わせる機会が一度もなかったので、どのような人物がメンバーなのかも分からない。なので近くにいる人間の誰かが組織の構成員なのでは、と勘繰ることはたびたびあったが、しかしヴァンは特にメンバー正体に感心があるわけでもなかった。――いや、恐らくあの組織はそう言った連中で構成されていたのだろう。自分の組織だというのに、便宜上の名前を付ける物好きがいない。だから軍団という呼称も、他の組織が好き勝手に付けた呼び名の一つなのだ。
件の組織は、ヴァンも含めて八人の小集団で構成されていたと聞いている。メンバー全員のハンドルネームは知っているが、顔見知りはグレゴリオを合わせて二人。この情報を提供してきたエピソードと先刻話題に挙がったビーストは顔すら知らない。
それも――妙なことに、この組織には統率者(リーダー)と呼べる存在がいないのだ。組織くらいの集団になってくると必ずと言っていいほど先導者がいて、その人物を筆頭にピラミッド構図の縦繋がりが形成されるというのに、ヴァンの属する組織は横繋がりのメンバーがやりたい任務をやるという、徹底した自由主義が約束されていた。
だから自分が誰かに管理されていたイメージはない。
だが、組織の統率者について心当たりがあるとすれば――
『電子迷路(アバン・ネットワーク)』エピソード。
十中八九、メンバーの誰もがこの代名詞を最初に思い浮かべるはずだ。現役の頃に命令らしい命令を回していたのはエピソードだし、軍団解体後も活動を続け、今回も率先して自分のサポートに就いてくれている。
しかし、結局はそれも推量の段階なのだ。
組織を構成した目的も活動内容も明らかにならないまま解散となったので、統率者はいないというオチであっても何らおかしいとは思わない。
もしあの組織に統率者がいたなら――本当にそんな人物がいたとするなら、そいつの顔を拝んでみたいという気持ちは少なからずある。
これがどういった感情なのかは知らないが、こんなアホみたいな組織を作り上げた統率者は化物である自分たち以上に頭の中が狂っているはずだ。
それが名前も顔も知らない相手だとしても、それだけは明瞭としていた。
今回の任務において、ヴァンが注視すべき人物が二人いる。
一人は、あのISとか名乗っていたふざけた小娘――自分の相棒を自称しているが、正直な話、力量の面で自分に吊り合う人間はこの世に存在しないだろう。
虎穴に放り込むような真似をしたのも、こちらの選抜試験を兼ねてだが――
しかし、ISを回収しなかった理由はもう一つあった。
「物語の裏の裏が表になるとは限らない――か」
カーテンを締め切り真っ暗になった部屋の中で、ヴァンは唇を動かしながら身体を起こした。今の一言が引き金となったのかどうか、ここではっきり断定することはできないが――これだけは言える。
天井を睨み付けても悪戯に時間が過ぎ去るだけだった。
ひとまず数分前にここを出て行ったワンペアの高校生が向ったISの部屋に赴くことにする。霧崎赤音が所持している『アイテム』について、本人がどれほど知識としてわかっているのかを詳しく聞いておくのも悪くない。
八階の廊下に出て、歩きながらコートのサイドポケットから携帯電話を取り出す。
霧崎赤音を回収するためにISとこのビジネスホテルを出る前に、エピソードからあの少年の顔写真と短文が送られてきた。
その文章を凝視したとき、思わず組織の名前が思い浮かんだのだが、顔を知らない組織のメンバー四人の大まかな特徴は、解体後にエピソードから教えられている――つまりあの少年は、少なくとも自分が知るメンバーの誰でもない。
だからこそ件の少年は、ヴァンにとって不安要素にしかならない、全く持って得体の知れない存在だった。
携帯電話の画面に顔を近付ける。ディスプレイの中央には、赤い背景に浮かび上がるようにして、一行の文字列が打ち込まれていた。
《He is blacklisted by the all(要注意人物).》
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