⑦奪還 ★7
ハートレス・ソルジャー/大沢財閥に心臓を保有された『欠如の傭兵』



 しかし一向に、ぼくの身体が粉々に砕ける感覚が、ない。何だ? もしかして気が変わったのか? もっと痛めつけてから殺すとか。いや、アウトライナーみたいな生れ持っての殺人鬼が、今になってそんな方針変更に乗り出すだろうか。ぶっ殺したくてうずうずしてる――そう散々愚痴っていたのに。
 わからない。
 わからないので、ぼくは頭を上げ、瞑っていた両目を、ゆっくりと開ける。開眼した瞬間死亡なんてつまらないオチにはならなかったが、アウトライナーは、連結鎖を繰り出したモーションで止まっていた。斜めに落ちてきた銀鎖の動きも、ぼくのすぐ目の前で、硬直している。本当に時間でも止まったように、ぴったりと停止している。
 だがしかし、時間は止まらない。
 アウトライナーの動きが止まっているというのも、半分はぼくの受け売りだ。そうと断言するまでにはいかない。
 そうか。
 ぼくは気付いた。
 アウトライナーじゃない――連結鎖だ!
 ぼくは連結鎖を振るうのにアウトライナーが手足を使った姿を見ていない――だとすれば、持ち主の動きは、あくまで何か間接的なものであって、あの暗器の操作には、直接関係していないのだろう。つまり、アウトライナーの四肢を圧し折っても、あれは動くのだ。ぼくは連結鎖を凝視し、注目する――と、案の定、銀の鎖には、蜘蛛の糸みたいに薄っぺらいシルエットが、黒い陽炎を噴きながら無数に張り付いていた。
 細長い黒色ののっぺらぼうは、修正テープでも滑らせたように、アスファルトの上を一直線に伸びた影から飛び出している。飛び出して爆散している。連結鎖のありとあらゆる個所に附着し、纏わりつき、先端の刀部がぼくの顔面に到達するその前に、無理矢理の力技で、ギチギチと相手の動きを封じている。
 シルエットの正体を思索することも忘れて、ぼくは視線を左手に――霧崎さんとゴーストとは対角線の位置へと移していた。既にアウトライナーと護衛屋は、警戒した面持ちで、そちらの方向を見ている。
 そして。
 ぼくの目に映ったのは街灯の下に立ち尽くす第六の人物だった。近くに光源があったので、思いのほかその姿をはっきりと見ることができた。ただし仮面を被った顔を除けばだが――ぼくが確信を得るよりも早く、第六の人物は疾走を開始する。
 とん、と革靴を鳴らし、護衛屋が後ろ向きに跳ね、距離を作るために下がった(護衛屋なのにかよ!?)。アウトライナーは相手の動きを目で追いながら、残ったほうの連結鎖を発射する。銀の鎖が舞い、寸分違わず胴体目掛けて飛んできた射程のない鋭刀を、第六の人物は片腕を思い切り薙ぎ払うことであさっての方向へと弾き飛ばした。何も武器を備えていない手刀なのにもかかわらず、あっさりと弾き飛ばしてしまった。電線が切断したみたいに派手に火花が散ったが、第六の人物は動きを止めない。互いの距離は五十メートルの半分にも及ばなかったが、三秒近くでもう鼻の先まで到達している。
 脱兎のごとく、と表現するにふさわしい俊敏さだった。
 そしてそのまま弾丸の速さのまま――弾丸のように突進してきた第六の人物は、いきなり跳躍する――三メートルほどの距離を一気に踏み切り、体勢を立て直すことなく、重力加速度の恩恵も獲得して、トップギアのスピードから、がら空きになっていたアウトライナーの顔面へと、文字通り鼻っ柱をへし折るみたいに、綺麗な空中回し蹴りを炸裂させた――
 かのように見えたが、爪先が横っ面にヒットするというところで、棒のように細長い何かが、第六の人物の膝関節辺りを目掛けて飛んできて、両者の間に割って入った長柄の物体は、邀撃の形で腰の回転を乗せた蹴りをまともに食らい、狂ったように激しく回転して、いうなら墓標みたいなイメージで、ぼくの目横にぐさりと突き刺さる。直後に黒影の束縛が解け、アウトライナーが後方へと飛び退き、遠心力に引っ張られた第六の人物も空中で身を翻し、片膝をついて、なんとか着地する。
 アスファルトに深く突き立った、ポールが付いた赤と白の逆三角形。
 道路標識だった。
 止まれの道路標識。
 それが第六の人物の動きを本当に止めてしまったことにおどろおどろしくもなんだかセンチメンタルな気分になって、仰向けに寝転がった姿勢のまま、ぼくは思い至った人物を視界に映す。アウトライナーの後方にいる、護衛屋である。足元近くに小さな一穴――野菜でも引っこ抜く要領で、あれを引き抜いて投げ放ったのか。最短最速の攻撃動作もだが、しかし、恐るべきはその腕力だった。ものの一撃で、第六の人物の姿勢制御を打ち崩した――ということは、相殺したのではない。あの脚力に、純粋な圧力のみで、押し勝ったのだろう。そのバリスタのごとき投擲による結果なのか、摩擦で肉が焼け、両手のひらが白煙をゆらめかせている。
 ここにきて、護衛屋の評価はアウトライナー以上の要注意人物に格上げだった。
 けれど、相手の姿勢は余裕の一言に尽きる。こともなげに、といった感じで、手首をスナップさせて立ち上がり――
 そして、ぼくに視線を向ける。
 第六の人物。
「…………!」
 安物のレインコートみたいなミリタリー系の外套、襟元の下は黒色のインナー、あろうことかズボンまで真っ黒。徹頭徹尾、黒い男。旅行に行くのか旅行帰りなのか、キャスターがついた革張りのトランク――はもう持っていなかったけれど。
 田中!
 虎太郎!
 田中虎太郎!
 畜生! ここで、こんなタイミングでやって来るのかよ、あんたは! やれるだけのことはやったからもう悔いはない、で終りにさせてくれないのかよ! ぼくから選択肢を奪うような真似をしやがって! こんな、こんな――
 こんなの、まるでヒーローじゃないか!
 田中虎太郎は、しかし、全身が血塗れの人間を目の前にしても、まったく動じる素振りを見せない。じっと、ぼくの死に際でも看取るように、露骨に観察しているだけ。実に気味が悪い。仮面で顔を覆っているため、表情も読み取れない――なんて思っていたら、突然に後ろ足を踏み切って近付いてくる仮面の男。そのまま、止まれの道路標識の真横でうずくまっていたぼくを、ひょい、と、左肩に担ぐ。
 えっと、あれ? 担がれてしまった。
「あなた、なにやってるんですか」
「…………」
「あの、虎太郎さんですよね?」
「…………」
「そりゃあ、わかってましたよ。偽名だってことくらい」
「…………」
「…………」
 放置プレイを味わった。
 右向け右で敵対者たちに向き直る、田中虎太郎。逆U字に背負われたので、筋トレの背筋運動のようにぼくが頭を持ち上げると、アウトライナーと護衛屋よりも、ずっと後ろのほう――今度はゴーストの両手足を、帯状の黒影が縛りつけている。さっきも見たが――田中虎太郎の影が動き回り、しかも質量を有している。
 ぼくは、そのとき、自分の胸が高鳴るのを感じた。全身でただ一つのことに集中していた。信じられない――感想はそれぐらいだ。言葉なんかよりも身体のほうがずっと物事を語っている。アドレナリンの過剰分泌により思考回路が洗浄され、たまらなく気持ちがいい。冷静だった自分はなりを潜めて、貪欲さだけが剥き出しになった。人知を超越するような創造物なんてものは、パソコンの液晶画面に映った文字でしか見たことがなかったから。だから、ぼくは目の前の情景に感動せずにはいられなかった。新しい玩具を与えられた子供のように、ただ見惚れていた。
 変幻自在の黒影の引力は、重力なんてものの何十倍もあるらしく、HBの鉛筆をへし折るがごとくに容易くぼくを吹っ飛ばした殺人鬼が、まったく身動きを取れていない。要するに、霧崎赤音も、ぼくとまったく同じパターンで、意図せず虎太郎さんに助けられたようだった。
「……どうして、お前が?」
 仮面の内側から、声。
 一瞬、別人かと思ったが、確かに、それは田中虎太郎の声だった。素でこれなのか――ぼくには理解に苦しむところだったけれど、とにかく、まるで別人にしか聞こえない、トーンを最大限にまで落とした声だった。
 てか、なんか口調まで変わってないか。
 仮面を装着したら田中虎太郎の内側に存在する第二人格が表に出てくるみたいなぶっ飛んだ設定がないことだけを祈るしかない。
「まあ、なんて言うか、成り行き上ですよ。成り行きで、巻き込まれました」
「どういう状況に自分が陥っているのか、わかっているのか?」
「わかりませんよ。言ったでしょう、ぼくは巻き込まれたんですよ」
「なら、霧崎赤音を置いてとっとと逃げればよかったんだ」
「…………」
 それは、
 そうだけれど。
「虎太郎さん、あなたが言ってることは正しい。正論だ。間違ってない。霧崎さんを見捨てるのが常套手段だってことくらい、わかってましたよ。それでも相手は三人だ。そして二人は手練の殺人鬼――人海戦術ってわけでもない。饑(ひも)じい思いが日常茶飯事みたいな奴らに、のこのこテリトリーの内側に入って来た獲物を逃がしてやる理由なんてあるもんか」
「結果論だな」
 仮面の内側で、くく、と。
 田中虎太郎は笑った。
 侮蔑と憐憫の入り混じった嘲笑だった。
「それに詭弁だ」
 間髪入れずに次句を繋げ――反論も許さない。
「そして数え方も違う」
 なんだって?
 てっきり、ぼくは、そんなことを指摘されるとは思っていなかったのだけれど……なんだろう、今の意味深な台詞は。……いや、勘違いだ。またしても、ぼくの素敵滅法な勘違い。考えれば護衛屋を勘定に入れてなかった。あれも合わせて三人って意味か。
「……ぼくからも質問です」
 ぼくは虎太郎さんを見る。
 けれど訊くまでもなく、この男の真意なんてわかりきっていたが、これだけはハッキリさせておきたい。
「虎太郎さんは、ぼくたちの味方ですか?」
「それはお前が勝手に勘違いしているだけだ」
 もはや気持ちいいくらいに、あっさりと否定してくれる田中虎太郎。
 そして右側から旋回してきた連結鎖を瞬時に叩き返す。
「な……っ!?」
 いつの間に、と思う暇もなかった。
 気付いたときには、もうアウトライナーは二撃目を発射している――あからさまな奇襲だったが、余所見など、戦闘中にはもってのほかである。それは、ゴーストに一杯喰わされたぼくが身を持って学んだ教訓だったはずなのに――左側の先端部がダブルブルを狙う一直線の動きで、アスファルトの舗装を蹴散らしながら刺突を繰り出したが、田中虎太郎は、まるで切っ先からぼくを遠ざけるように、身体を左回りに回転させ、刃が触れる寸前に右腕を高くかかげ、その斬撃を、腕の一本で斜めに受け流す――この人、やっぱり自分の手足を使って相手の攻撃を捌いている、のか?
 しかし、それもまた見当違いだった。左肩に担がれているぼくにすれば、ほとんど右側は死角のようになっていたからだ。星の光を浴び、くっきりとアスファルトに映し出されている田中虎太郎の影が――影が、黒装束の上を蠕動する、右半身を歪に這い回る。仮面の右半分は、とうとう禍々しい刺青でも施されたみたいになっていた。黒い衣装が保護色になっていままで見過ごしていたようだが――いや、もしかすると、そのためのブラックのパーソナルカラーなのかもしれない。
 そういうことか。
 わかった、影だ。
 つまり、田中虎太郎が、顕在の最中も黒影の硬度や質量を自由自在に調整しているとするのなら――それはつまり、本来実在しないはずの平面体が物理的な攻撃力まで獲得するということになるのだろう。張り巡らせる対象が自分自身であっても、ちゃんちゃらおかしくない。骨格が人体の素体(フレーム)であるように、形状を薄く変化させた黒影を手足に張りつければ、田中虎太郎の四肢は、正真正銘の刃(ブレード)となり、男の全身は人間凶器へと変貌を遂げる。
 まるで断首台(ギロチン)だ。
 シュミット公房の断首台。
「って、う、うわっ!?」
 そして連結鎖はまだ振り戻されていない――扇状に散開していたそれが、遠目からでも追うのがやっとのスピードで、交差する。
 だが、当たらない。
 決定的な一撃が、与えられない。
 直線的に突き出せば、上に跳んでかわす。
 横薙ぎに振り払えば、足蹴りで叩き落され――返す刃で逆袈裟懸けに斬りつけようものなら、手刀で弾き飛ばされる。ぼくを肩に担いだまま、金属質の触手の間を縫うように掻い潜る田中虎太郎。やすやすと、やすやすと――四方八方、東西南北、完全無欠に防ぎきる。連続する金属音、きらめく閃光、ともすれば無限に続くかとも思われた剣戟と回避だったが、連結鎖の徹底した追撃を振り切る速度まで加速すると、田中虎太郎は、ばね人形のごとく跳躍し、闇色の黒衣をはためかせ――そして、宙を駆けた。
 アスファルトから飛び出た黒影が、足場を作ったのだ。一歩先に出来上がる架空の地面に靴裏を貼り付けて、夜空を縦横無尽に駆け回る。ひんやり冷たい空気に頬をなでられ、身体が前に引っ張られる感覚。つまるところ、本当に信じがたいことだが――
 どうやら、ぼくは、空を飛んでいるらしい。


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匿名読者
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