第二話


 ある街の、大通りから一本入った路地に、隠れた店があるらしい――。
 扉に小さく文字が彫ってあるだけのその店には、誰もが二度、訪れるという。

 店の名は、「AISKHYLOS(アイスキュロス)」。

「ここは、なにを売るお店なんですか?」
 ついさっき、”理解されたい人間の理解話”を聞いた少年が口を開いた。

 AISKHYLOSは謎に満ちた場所だった。店なら大通りに扉を構えればいいのに、扉は敢えて路地に面し、厚手のカーテンで仕切られた窓から光は入らず、たった一本の蝋燭がユラユラと揺れるばかりだった。部屋の真ん中に丸テーブルと椅子がそれぞれひとつずつ置かれているだけで、他の家具と言える物はなにひとつない。
 しかし、総じてあやしい部屋の中で、もっともあやしいのは、床と壁を所狭しと埋める、本の量だった。本で埋まっていないと言えるのは中央のテーブルと椅子だけだった。

「何を売るのか……? 聞いてはいけませんよ、***」

 少年は自分を呼ばれた気がしたが、それを聞き取る事ができなかった。

「ほう…あなたがなんなのか、わかってきましたよ」

「いいでしょう、珍しい方だ……もうひとつ、聞いてゆきなさい」



 オレは結城飛鳥。読みはそのままユウキアスカでいい。フルネームは面倒だろうから結城か飛鳥か、好きなほうで呼べ。
 そこにいるお前がなんだろうとかまわない、聞いてくれ。

 オレは真剣に悩んでいる。

 周りからみたら至極どうでももいいだろうが、オレは悩んでいるんだ。それも真剣に。
 まさに俺の前にライフカードが並んでるわけだ……いつだか流行ったな、あのCM。
 選択肢は三つ。
 彼女と別れるか、小説家を諦めるか、嘘をつくか。
 ……どうでもいいだろう、オレですらこの悩みが他人のものならどうでもいいと言い切れるくらいどうでもいい。他人の人生の選択なんか、自分が関与しない限りどうでもいいものだ。

 さて、詳しい話をしようか。
 改めて、オレは結城飛鳥。四年浪人して大学に入って、お決まりのように留年、大学卒業までに七年をかけ、そして卒業してから五年、今は三十五歳。立派なおっさんへの一途を辿ってる。
 そんなおっさんの、将来の夢……とか、そんなことを言っていられる歳ではないが、夢は小説家だ。
 中学生くらいの頃から物語を書くのが好きで、高校は文芸部で小説をずっと書いていた。まさに幼い頃から暖めていた夢。もちろん三十五歳になって、二十年経った今でも諦める気はない。
 今は所謂フリーターで、バイトをしながら日々パソコンに向かってずっと書いている。詰まった時は散歩したり彼女と……。

 そうだ、問題はそこだ!
 八年前、オレが二十のときに出来た十歳年下の彼女、三枝いづみこそが……言い方が悪いが、問題なんだ。……そこ、二十七歳が十七歳と付き合うのは犯罪って目で見るな。

 三枝いづみ、二十五歳。幼馴染なんて甘いモノではないが、家が隣だから小さいときからの知り合いだ。県内の大型百貨店に勤務する、普通の子。
 二十五歳といえば、ちょうど若い女の子が結婚を気にする年だ。いづみ自身は気にしてないようだが、親に散々結婚を言われてるらしい。
 悩んだいづみは俺に言った。

「結婚する年だし、会社に入らなきゃダメだよ」

 小説家を諦めろ、と言わなかったのはいづみの優しさなのかもしれない。
 まぁ、それで俺は悩んでいるんだ……。
 俺はいづみを愛していて、言ったことはないし言えないだろうと思ってるけど、結婚を前提に付き合っているつもりだ。
 でもいづみとの結婚を認めてくれるはずのいづみの両親は、職についてない俺をよく思っていない。よくどころか、最近はニートでクズ的な扱いしか受けていない。いづみが言ってくれているらしく直接俺には言わないが、交際すらも反対されているくらいだ。
 そこで、再び選択肢だ。
 彼女と別れるか、小説家を諦めるか、嘘をつくか。
 彼女と別れるってのは自分の夢を優先して、好き勝手に生きるってこと。
 小説家を諦めるのは彼女を優先する。要するに就職して結婚だ。
 嘘をつく。小説家になった・就職したって嘘でいづみと結婚する。
 一番最低なのは最後の嘘をつくってことだ。それなら夢を応援してくれて、結婚を考えてくれてるいづみに迷惑も心配もかけない。傷つけることもない。
 でも残るのは、膨大な罪悪感だ。そして俺は一生嘘を隠すことになる……。 要するに、無理だ。
 一番健全なのは夢を諦めることなんだろうな。それくらいはわかってる。ぐずってそれをできずにいる俺が、最低な小心者ってこともわかってる。
 諦めきれないくらいの夢なら彼女くらい投げ出せればいいのに、それもできないくらいいづみを愛してる。
 いづみを愛してるなら捨てればいいのに、暖めてきた夢を手放せない。 要するに、優柔不断の馬鹿なんだ。

「はぁ……」

 盛大なため息。コレで通算何回目だったかなぁ、なんて数えるのは五十回でやめた。五十回まで数えただけでほめてくれ……。
 なんという重い空気。
 日曜の昼間なんてのはもっとこう、明るくて、暖かい雰囲気だろう? なんだ、この淀んだ空気に高く詰まれた雲は。
 子供一人いない公園が俺の心境をそっくりトレースしてやがる。
 溜まった涙がこぼれないようにと空を見上げているのに、あまりの曇天にこぼれ落ちてしまいそうだ。

「ちくしょうめ」

 こんなときでも脳ミソはフル稼働だ。就職についてじゃなくて、次の小説の構想・内容・イメージ。……こういう言い回ししかできないから、いつまでたっても実らないんだろうな。
 そんなことを言い出したら、大学に四年も浪人して七年かけて卒業した俺に小説家なんて夢以上の話なんだ。それでも追いかけるくらい、叶えたい夢……。

「こういうトコロにいるからお母さんに見つかってニートって呼ばれるの」
「うひっ!?」

 ……うひってなんだ、うひって。

「いづみか……」
「いづみか、ってなによいづみかって。声で分かるでしょ」

 いや、びびったって意味だ。
 それに今のいづみか、ってのにはふたつみっつ意味があるんだ、意味が。お! いづみか! っていう恋人に会えた嬉しさと、まぁなんだ、この悩みの対象でもあるいづみにどう反応したらいいかわからなくて困ってるいづみか……ってのだ。
 半分半分じゃなくて九割ほど、後者のいづみか、だけどな。

「にしても反応がうひってどうかと思うよ。変た……オタクみたい」
「いや……オタクは違うが変態は事実だし」
「だから言い換えたの。オタクみたい」
「……世のオタクさんにぶっ殺されるぞ、その台詞」

 とりあえず座れ、と促して、ベンチを半分譲る。……俺はベンチに一人で腰掛けて足組んで空を仰ぐ――……ってどこの阿部さんだ、それは。
 オタクを否定して真っ先にオタク的な発想が。いや、これは変態的発想ってことにしよう。うん。

「ぶっ殺される状態になったら助けるくらいはしてくれるでしょ」

 いや、無理無理無理無理無理無理。

「え、いづみさんなにその考え改めたほうがいいよ? 百七十センチしか身長ないうえに運動経歴皆無の俺ができるとでも?」
「ばっか、そういうこと言ってるからニートって言われるの。彼女くらい死んでも守るっていいなさいよ」

 ハイハイわかった、気をつける気をつける。そう適当に流して、いづみの髪をすく。

「また結婚のことで悩んでたの?」

 飛鳥は悩んでるときいつもソレするの。分かりやすくて助かるけど。
 いづみの台詞に眉間に皴を寄せる。……こういうところも分かりやすいんだろうな、うん……。

「私は飛鳥は飛鳥のしたいことをすべきだと思うから、夢を追いかけたいならそうして」
「そうすると……悪い言い方、いづみは捨てられるわけだが」
「かまわないよ、別に。わたしは飛鳥の夢応援してるから、それがいつか叶うならその間ずっと待ってる」
「……お前は結婚しろよ」
「へぇ? わたしがほかの人と結婚していいの? そんなに簡単に譲れるくらいの気持ちだったのね」

 そろそろいづみにキレられるなぁとは思ってたが今くるか。




 グォン、と夕暮れを告げる鐘の音が街に響く。閉ざされたこの店にも音は響き、柱が微かにびりびりと揺れる。

「惜しいですね……長いものを選びすぎてしまった。今日は帰りなさい、少年」
「その二人はどうなるんですか?」
「そうですねぇ。……彼らはしっかりと結論を出して、歩み始めますよ」
「ぼく、わかったかもしれない」

 少年は揺れる蝋燭を瞳に映しながら、しっかりと見据えていた。

「ほう……? おもしろい。ですが、答えは今度聞くことにしよう。もう遅いから、おかえり?」
「……わかった、またくるね」

 カラン、と音をたて、少年が扉を開く。振り向き一度だけ手を振ると、少年は夕暮れの中大通りへと走った。
 大通りは昼間の人気が少しずつ減って、それでも昼間より忙しく動いていた。

「どうぞ、また来てくださいね――……」

 誰もいない部屋に声だけが響き、少しずつ色が薄まり消える扉に、人々が気づくことはなかった。


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匿名読者
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